掲載日 : [2017-04-12] 照会数 : 5381
サラム賛歌<30・最終回>祖母・母・娘 3代で担う
[ 母の池成子(左)とともに仁川宮洞ギャラリーで演奏会 ]
伽倻琴奏者
金保京さん
昨秋、ソウルで独奏会を開いた金保京さん(47)の公演プログラムに、こんな一文があった。
「日本で生まれた私は、日本文化の中で育ちました。当時の日本では、韓国の文化に触れることが難しかったのですが、わが家にはいつも、伽倻琴の音がありました」
東京で生まれ、日本の学校に通い、高校を卒業した1989年に、母国留学生として韓国を訪れた。
1年間の語学研修後、韓国の文化をもっと知りたくて、弘益大学の陶芸科に進学した。韓国語はまだ得意ではなかったが、実技を学ぶ楽しさがあった。
教授は、金さんの外祖母である故成錦鳶のファンだった。母の池成子も、韓国では有名な伽倻琴の名人だということを、そのとき初めて認識した。
大学を卒業した金さんは、いったん日本に戻った。自分はどこに住むべきか。これからどう生きるのか。日本で仕事をしながら、1年間悩んだ。
幼いころからあたりまえのように親しんできた伽倻琴の音色が、頭の中で響いた。運命の糸に手繰り寄せられるように、母がパンソリを習うために住んでいた全州に向かった。ソウルとは違う田舎の町で、伽倻琴以外の伝統楽器も、みっちりとたたき込まれた。
祖母から母へ、そして娘へ。傍から見ればそれは、当然と見えるかもしれない。しかし金さんが本格的に伽倻琴を学ぼうと決めるまでには、長い道のりがあった。当代最高の名人と言われる祖母と母の血筋も、大きなプレッシャーだ。しかも韓国では、伝統音楽の分野で2代、3代と引き継がれるケースはまれだ。
98年にソウルの韓国芸術総合学校の国楽科に入学し、演奏家としての活動を始めた。唱劇団の伴奏を務め、KBS放送局の国楽番組の専属伴奏者となった。「演奏に言葉はいらないから、私が在日だとわかる人はいなかった」と、金さんは笑う。
昨年、ソウルの漢陽大学で博士課程を終えた。現在は韓国芸術総合学校と釜山芸術大学で教えながら、演奏家として活動している。
金さんは、二人の娘の母でもある。上の子は中学生、下の子は小学生。最近は、子どもの進路について悩むことも多い。
「私は通名で、日本の学校に通った。少しでもニンニクの臭いがすれば、いじめられた。でも娘たちは韓国で育ったから、そんなことは気にせずに、まっすぐ育ってくれた」。
娘たちが4代目を継ぐかどうかは、本人の意志に任せたいと考えている。金さんの幼いころと同じように、娘たちも、日々の暮らしが伽倻琴の音色とともにある。
母国に住みながら、「在日をやめて韓国人になれ」と言われ、泣いたこともある。心が折れそうなとき、いつも伽倻琴が傍らにあった。
「今になって、日本に30年住んだオモニが、命がけで守ってきたことの意味がわかるような気がする」。
母国留学前、金さんは民団新聞のインタビューを受けたそうだ。そのときは、どんな未来を夢見ていたのだろう。
金さんは今、韓国の国楽界で、ひときわ存在感を発揮している。祖母と母の歩んだ道。そして金さんが選んだ人生の道だ。
戸田郁子(作家)
(2017.4.12 民団新聞)