掲載日 : [2017-05-31] 照会数 : 5668
韓国テンプルステイ<4>伽倻山 海印寺
護国仏教のシンボル 八万大蔵経
韓国人にとって「国の宝」といえば、高麗八万大蔵経は欠かせない。土曜日のテンプルステイはスニム(僧侶)が直接現場を案内してくれるというので参加した。宿泊者40人のうち15人が欧米からの観光客。英会話のできる僧侶が多いとはさすがである。
802年(新羅の哀荘王3)、高僧義湘大師の教えを継承した順応、利貞の両大師が創建した。寺院名は華厳経の「海印三昧」に由来する。静かな海にあらゆるものが映し出されるように、一切のものを映して動じない仏の心、釈迦の悟りの世界を示している。
国立公園である伽倻山(1430メートル)の最高明堂敷地に、一柱門から蔵経板殿にいたる「行舟形局」の伽藍配置が特徴だ。大海に船が出ているかたちで、すべての衆生を救うという大乗仏教の精神を含む。ちなみに伽倻はもともとインド王家の名称らしい。
一柱門は別名「紅霞門」と呼ばれ、周囲と調和した景観が美しい。鳳凰門を経て不二門(解脱門)までの階段は急傾斜の33段。仏教宇宙論における世界の中心・須弥山(しゅみせん)の頂上に住む33天に通じる。八万大蔵経殿までは108段をのぼる。
大蔵経を保管する板殿がユネスコの世界文化遺産に(1995年)、高麗八万大蔵経が世界記憶遺産に(2007年)それぞれ登録された。
契丹の侵攻を撃退するため、1011年から76年の歳月をかけてつくられたのが「初雕大蔵経」。ところがモンゴル軍の侵入によって1232年に焼失。次いで1236年から15年かけてつくられたのが「再雕大蔵経」。誤字がなく、美しい文字は完成度の高いものだ。経板1枚の大きさは縦24・5㌢、横68㌢である。
ガイド役の僧侶によると、桑の木を3年間海水に浸けてから3年間乾燥させる。内庭を囲むように連なる4棟の蔵経板殿は、床下に塩・炭・石灰・砂を敷き、経板の変形や害虫の侵入を防ぐとともに、科学的な湿度・通風管理が今なお光を失わないでいる。
いまひとつ、伝説化したエピソードがある。韓国戦争時、北韓軍の落伍者900人余が海印寺に立てこもった。空軍パイロットの金英煥大尉は爆撃命令を受けたが、爆弾を落とせば寺院と八万大蔵経は灰盡と化す。逡巡した末、別の山に投下した。処刑を覚悟しての命令拒否だった。かくして国の宝が守られた。寺院は過去、何度も火災に見舞われたが、大蔵経だけは免れた。
英会話の堪能な慈覚スニムは茶話会で、僧侶になった動機について「人と争うのがいやで、競争社会から離れたかった」と説明した。釜山から来た同部屋の許さんは「ここは特別のパワースポット。1人で静かに過ごしたいときに訪れる」という。
主峰の象王峰をはじめ1000メートル級の山々が連なる伽倻山は、昔から文人墨客に愛されてきた。1000年の古木(モミの木)のある学士台は、新羅の名筆家・崔致遠が隠居したところと伝えられている。
大蔵経 仏教の聖典で、経蔵・律蔵・論蔵の三蔵とその注釈書をまとめたもの。海印寺の高麗八万大蔵経は8万枚を超す版木に8万4000の法文が刻まれている。
◇慶尚南道陜川郡伽倻面海印寺路122(℡8255‐934‐3000)
宋寛(韓国文化研究家)
(2017.5.31 民団新聞)