掲載日 : [2017-05-31] 照会数 : 8778
世界遺産へ友好の道…ソウル〜東京21世紀の朝鮮通信使<4>
[ 強い風雨の中、ポンチョに身を包み進む ] [ 名古屋城と加藤清正像を背にして歩き始めた ] [
韓棟基さん(左端)は永渕美乃里さんと2年後の再会を約束した ]
5月9〜15日
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ハングルで歓迎の幕…昼食や茶会、差し入れに感激
半纏姿で出迎え
【9日】鳴海‐岡崎。旧街道の町並みが続く有松宿では、特産の有松絞り染めの半纏(はんてん)を着た町の人に迎えられた。以前、絞り染めで作られた「朝鮮通信使」のノボリを贈られたことがある。
安城北小では校庭にある樹齢90年余りの「ヒトツバダコ」の大木を見せていただいた。白い花で覆われる通称「ナンジャモンジャ」の木は対馬が有名だが、名古屋など東海地方の街路樹にも最近多くなった。でもこのような大木は珍しい。対馬で開花が見られなかっただけにうれしかった。
昼食は長年の歩友・西川阿羅漢・敦子ご夫妻にレストランでご馳走になった。毎回手作りの昼食を公園でいただいていたが、雨を心配して変更になった。個人から全員への「ご馳走」は日本コースでは初めてで、韓国ウオーカーも喜んでいた。
【10日】岡崎‐豊橋。日本コースが10日間を過ぎ、足のマメなどでサポート車に乗る人が増えてきた。腰の痛みで体を傾けて歩く人もいる。毎日平均30㌔の歩行と、毎朝5時起きの日程で疲れもだいぶたまって来た。
足のマメは靴が合わないと出来やすいし、一度直ると安心して、マメが出来そうな指の間などにテープを張る予防をしないなど油断しているとまた出来る。この繰り返しの中で「授業料」を払いながら体得していくしかないようだ。長距離の連続歩行の難しさだ。
【11日】豊橋‐弁天島。朝の気温は21℃。風が少し吹き、さわやかな五月晴れ。駅前2階の広場は垂れ幕禁止とあってガードマンに連れられて集会届を出して出発式。旧東海道・二川宿には大きな本陣があり、各家には昔の屋号の看板を掲げて昔の面影を演出している。
海見て故国思う
塩見峠からは遠州灘の青い海と白波が見えてきた。大阪から歩き出して初めて見る海だ。通信使たちは海を見て故国を懐かしく思い出しただろうか。
今日の宿は久しぶりの温泉旅館。夕食会には民団静岡本部の姜再慶団長ら4人が激励に。日本酒などが差し入れられ、正使役の宣相圭・韓国隊長も感激して乾杯した。 【12日】弁天島‐天竜川。今日から1週間は日本ウオーキング協会静岡県本部の各地域コースリーダーにお世話になる。出発式には松浦茂会長が顔を見せて「安全歩行」を約束。
足のマメが痛く、2日ほど車に乗っていた河在龍さん(前・民団東京本部副団長)も元気に歩き出した。「まさかマメで歩けなくなるなんて情け無かった。でも韓日のウオーカーが気を使ってくれた思いやりに感謝! 感謝!」と足の負担を軽くするため水だけを持って歩みを進めた。一方、連続参加の李性任さんは「通訳・洗濯係」として連日の大活躍。
浜松市の民家ではハングル文字で「ようこそ浜松へ」と書かれた張り紙の奥の部屋でお茶の接待を受けた。「何か私にできることはないか」と思っていた鈴木加一郎さんの接待に皆感謝の拍手でこたえていた。浜松市役所では「出世法師 直虎ちゃん」と「家康君」のマスコットに迎えられた。鈴木康友市長の「みなさんのウオークは日韓の両国の民間外交への寄与大です」というメッセージが代読され、同市在住の高橋幹雄夫妻からマスコットに記念ペナント・Tシャツがプレゼントされた。
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1日30キロ52日間歩行…「痛み」の共有で連帯感生む
天竜川の珍味?
【13日】天竜川‐掛川。朝から久しぶりの雨。万全の雨対策で歩行スタート。風も強いので傘を差さず頭から全身を包むポンチョがメーン。磐田市では現存する最も古い木造洋風建築の小学校校舎「見付学校」を見学し、この地域での通信使の話を聞く。「天竜川の上流から帰路の昼食用に鹿や猪の肉が運ばれました」という説明に韓国ウオーカーはうなづきながら驚いていた。昼前、風雨が一段と強くなったが、土曜日でも開けてくれた袋井市役所ロビーで雨に濡れずに昼食。
午後には雨が上がり、掛川市に入ると第1次以来歓迎してくれている高木敏男市議らが今年もハングルで書かれた「ようこそ掛川へ」の横断幕で迎えてくれた。お茶と柏餅をご馳走になり、宣さんは満面の笑顔で高木さんと抱き合い再会を喜び合った。夕食会ではコースリーダー・柳田秀雄さんの「地球1周4万㌔歩行達成」を祝い乾杯した。
【14日】掛川‐藤枝。足のマメ・捻挫・足首の痛みなどで車に乗る人が増えてきた。1日30㌔を連続して52日も歩く「ウオーク」は決して生易しいものではない。だからこそ歩みを共有する中で、言葉は余りわからなくても連帯感が生まれ交流の輪が広がる。そして弱い部分をいたわり合い、助け合う気持ちが自然にわいて来る。
掛川駅での出発式を前に日本隊・韓国隊の最年長、金承南さん(83)と韓棟基さん(79)が韓国語で話している。何の話かと聞くと、承南さんが「お互いに生活習慣は似ていますね」と教えてくれた。出発式には日曜日にもかかわらず掛川市の松井三郎市長や戸塚進也元市長らが出席。松井市長から「みなさんのウオークが日韓の平和交流に役立つことを期待しています」と激励された。
日坂宿の急坂を上りきった丘の上には緑色の茶畑が両側に広がり風が渡り気持ちがいい。長い坂道を下り復元された旧東海道菊川坂の石畳を上る。次は茶畑を歩いて金谷の石畳を下る。木立の中、山石が密集した急な下り坂は前日の雨に濡れて滑る、滑る! 韓国男性に手をつないで支えられた女性ウオーカーはやっとのことで通過した。歩行者専用橋を歩く大井川はかつては最大の難所で三使臣は輿を蓮台に乗せたまま渡ったが、川番所に保存されている蓮台を韓国の金泰昊さん(通信使研究家・元大学教授)は興味深そうに撮影していた。
【15日】藤枝‐清水。初の女性コースリーダー、新村みさ子さんに先導され藤枝市の栗田隆生・副市長もノボリ旗を掲げて見送りウオーク。新緑の林の間の山道を上って宇津谷峠へ。
音楽隊の先導も
静岡市に入る安倍川では懐かしいチャンゴの音色に迎えられた。いつもは静岡市側で待っていたが今回は橋を渡ってやってきた。黄色い衣装姿の5人の音楽隊に先導されて橋を渡り、公園で民団静岡県本部のみなさんに出迎えられた。顔なじみになった姜再慶団長をはじめ、金光敏元団長も笑顔で宣さんや遠藤靖夫・日本隊長と握手。冷たいスイカやお茶をいただき疲れをいやした。音楽隊にそのまま先導され静岡市の繁華街へ。静岡市役所前では市歴史文化課の岩田課長らに迎えられて記念写真。そして再び姜団長に見送られ、その日のゴールをめざして歩みを進め、ようやく薄暗くなった清水駅に午後6時40分に到着した。
(文・写真 友情ウオークの会 金井三喜雄)
(2017.5.31 民団新聞)