掲載日 : [2017-06-14] 照会数 : 5381
韓国テンプルステイ<5>徳崇山 修徳寺
本堂背に雄大な連山のパノラマ
「忠清南道のどまん中」をキャッチフレーズにした礼山または洪城からバスで約1時間。終点の修徳寺入口周辺にはたくさんの店が並び、門前町としてのにぎわいをみせている。
そこから歩いて20分ほどで一柱門に着く。門の両側には、如意珠を口にくわえた一対の竜が頭を突き出している。めずらしい光景だ。一部が高麗時代のものといわれる階段をずっとのぼっていくと、梵鐘閣や僧侶の修行道場谿である青蓮堂、白蓮堂などが見えてくる。
徳崇山をバックにもっとも高いところに建つのが本堂の大雄殿。それを背にして立つと、北方向に伽 山、西に烏棲山、東南に龍鳳山が屏風のように連なり、雄大な眺めに感嘆せざるをえない。僧侶から「本堂の孤を描いた屋根など建物全体をまず見ること。次に本堂を背にして釈迦がつねに眺める風景を味わうことが大切」と教えられた。今、眼前に広がる眺望こそまさしく釈迦の世界なのかもしれない。
大雄殿は1308年(高麗忠烈王34)に建てられた貴重な木造建築で、国宝第49号に指定されている。幾何学的な美しさで知られ、内部の梁と屋根の垂木の構造がみごとだ。本堂内に電気設備はいっさいなく、ろうそくだけが灯され、敬虔な雰囲気をかもしだしている。また「音律養飛天図」や「水花図」など高麗時代の壁画が保存され、建物の前には容姿端麗な7層石塔がいにしえの世界へといざなう。
夕方の礼拝終了後、ある婦人から「スニム(僧侶)の講義があるので一緒にどうぞ」と誘われた。テンプルステイの宿所・白雲庵の向かい側にある不二庵での仏教大学。遍照スニムを講師に、30人近くが学んでいる。途中から入室した人はスニムに向かって五体投地法のあいさつをする。
百済の威徳王時代(在位554〜598年)に創建されたといわれる。壬辰倭乱(文禄・慶長の役)のとき、大雄殿をのぞいた大部分の伽藍が焼失した。韓国仏教の発展に役割を果たすのに2人のスニムの存在が大きかった。大禅師の鏡虚(1849〜1912年)は禅宗を振興させ、弟子の満空僧侶(1871〜1946年)は寺を再建し、多くの弟子をはぐくんだ。修行する気風が受け継がれ、1984年に徳崇叢林に昇格、僧伽大学を運営している。
早朝、徳崇山を散策しながら、禅寺として知られる定慧寺まで足をのばしたが、あいにく安居期間の修行中で、中に入ることは許されなかった。しかし、山道はよく整備され、眺望もよい。「湖西の小金剛」と呼ばれる風景とともに、山道にある四面石仏(レプリカ)や満空塔、観世音菩薩立像などから、百済時代の繊細で優美な造形美を楽しむことができる。
叢林(そうりん) 禅院(禅の実習)、講院(経・論学習)、律院(戒律研究)を備えた総合修行道場のこと。3宝寺院と修徳寺、桐華寺、白羊寺、双 寺、梵魚寺を8大叢林と称する。
◇忠清南道礼山郡徳山面修徳寺内路79(℡82‐41‐330‐7789)
宋寛(韓国文化研究家)
(2017.6.14 民団新聞)