掲載日 : [2017-07-26] 照会数 : 5897
韓国テンプルステイ<8>智異山 華厳寺
韓国最大級の木造建築「覚皇殿」
パンソリ「春香伝」の舞台として知られる南原(全羅南道)。そこからクルマで南へ1時間ほどで智異山(1915メートル)ふもとの街、求礼に着く。古来から智異山は神聖な山とされ、周囲に古刹が多い。そのひとつが華厳寺。求礼からバスで20分ほどのところだ。駐車場周辺は案内所や食堂が並び、登山客らでにぎわう。
「詩の丘」を眺めながら徒歩20分ほどで一柱門がみえる。テンプルステイの宿舎を訪ねると、担当の1人が若い女性。聞けば、親の勧めで大学を1年間休学し、1カ月前からアシスタントとして住み込みながら手伝っているとのこと。男性グループ「嵐」のファンで、日本にはぜひ行きたいという。
544年、インド出身の縁起祖師が創建したとされる。高僧義湘大師が華厳教を広めるため、華厳宗の願刹として再建したことにより華厳寺と呼ばれるようになった。壬辰倭乱(文禄・慶長の役)のときに多くの殿閣が焼失するとともに、李舜臣将軍を援護して沿岸を守った義僧兵300人超が命を落とした。その後、碧巌禅師や桂派禅師、導光大宗師らが再建に尽力した。
広大な境内を散策してみる。智異山を背景に、国宝の覚皇殿と石灯篭、さらに大雄殿、円通殿といった殿閣、獅子塔が石段の上に並ぶ光景は壮観である。
とりわけ義湘が建てたといわれる覚皇殿は2階建ての荘厳な建物で、韓国最大級の木造建築だ。当時は丈六殿と呼ばれ、華厳経を彫り込んだ石経で四方の壁を飾ったが、壬辰倭乱の際に破壊された。保管されている残片が当時をしのばせる。
朝夕の礼拝はここ覚皇殿でおこなわれる。内部の太く曲がりくねった柱のぬくもりが、歴史の年輪を感じさせずにはおかない。僧侶や信徒らの集会所「普済楼」の太く素朴な基壇も同じだ。「ずらりと並びながら建物を支える形が踊っているようだ」と、僧侶が表現した。見るほどに楽しさが増してくる。すぐ近くの庵を支える柱も風格があり、中で外国人が茶を楽しんでいた。
覚皇殿の前で、団体の女生徒らが思い思いに記念撮影する光景が見られた。7、8人がカメラに向かって一斉にジャンプする。若い子はポーズをとるのが上手でほほえましい。覚皇殿の前庭にたつ石灯籠は高さ6・3メートル、直径2・8メートルで、これもまた韓国最大級の大きさだ。統一新羅時代の仏教中興期の代表的な彫刻芸術のひとつといわれる。覚皇殿の南側から108段の石段を登り切った高台に四獅子三重石塔があり、表情のちがう4獅子が頭の上に三重石塔をのせている。
韓国国立公園第1号の智異山は天王峰や老姑壇、般若峰をはじめ80超の峰を有し、国内最大規模。植物の再生に努めており、四季折々の美しい風景を楽しむことができる。約20カ所の登山コースはゆるやかな峰が多く、登山者が絶えない。
◇全羅南道求礼郡馬山面華厳寺路539(TEL:8261・782・7600)
華厳宗 大乗仏教の宗派のひとつ。韓国仏教は護国仏教の性格を保ち、華厳経という「教宗」を中心に禅宗や風水などを融合しながら発展してきた。日本では華厳思想の反映として東大寺盧舎那(るしゃな)仏像(奈良の大仏)が8世紀に建立された。
宋寛(韓国文化研究家)
(2017.7.26 民団)