掲載日 : [2017-08-15] 照会数 : 5825
韓国テンプルステイ<10>俗離山 法住寺
独特の弥勒信仰で「仏土」の世界
韓国の中央部に位置する国立公園の俗離山。忠清北道の報恩ターミナルからバスで20分、登山口である俗離山観光団地に着く。法住寺までは歩いて20分ほどだ。
境内に入るやいなや、「ブォー」という音が山全体に響いた。イノシシの鳴き声とのこと。とんだ歓迎ぶりだったが、境内はいたって静寂に包まれている。最高峰の天凰峰(1057㍍)をはじめ8つの峰々が蓮の花のように寺院を取り囲み、寺名どおり「仏土」の世界そのものだ。
まず目につくのが、俗離山を背にした黄金色の金銅弥勒大仏。高さ30㍍ほどもあり、そのスケールに圧倒される。統一新羅時代に建立されたが朝鮮朝時代に解体され、2000年代に入り再現されたものだ。地下には弥勒半跏思惟像が安置され、おごそかな雰囲気がただよう。
大仏と向かいあってそびえる建物が捌相殿(国宝第55号)=写真上。韓国唯一の五重木造塔で、高さ21・2㍍に達する。内部には釈迦の生涯のうち重要な8場面を描いた八相図を収蔵している。外観は上層に行くほど小さくなる屋根の描く曲線のコンビネーションが美しく違った角度から見る表情が変化に富む。
553年に義信僧侶が創建。寺名は釈尊の教え(法)が住するという意味に由来する。776年、真表律師による再建を契機に、弥勒信仰の中心道場となった。百済、新羅の弥勒信仰は固有のシャーマニズム的な信仰と習合する形をとり、独自の信仰をはぐくんだといわれる。
壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の際に木造建物が焼失し、創建当時につくられた石造物だけが残った。現在の殿閣は、1626年に碧巌禅師が改修、復元したもの。本来の伽藍は、大雄宝殿を中心にした華厳信仰と、龍華宝殿を主体にした弥勒信仰が、捌相殿で直角に交差するように配置されていたという。
本堂の大雄宝殿は、華厳寺(全羅南道)の覚皇殿、無量寺(忠清南道)の極楽殿とともに韓国3大仏殿のひとつ。高麗時代半ばに建立されたといわれ、再建を繰り返しながら、2005年、現在の姿に復元された。
国宝の石蓮池=写真下=は720年ごろの作品と推定されている。高さ約2㍍、周囲6・65㍍で、極楽世界の蓮池を象徴している。花崗岩の側面に彫られた花文様の精妙さは逸品との評価が高い。
同じく国宝の双獅子石灯(高さ3・3㍍)も同時代の造形と推定され、韓国最古の石灯篭。1頭が口を開け、もう1頭が口を閉じた獅子が向かいあい、前足で灯篭を懸命に支え、後ろ足で石を踏みしめるという特異な形態だ。
俗離山は峰々に怪石奇岩がつらなる。そのひとつ文蔵台には「3度登れば極楽に行ける」との言い伝えが残る。
平日はテンプルステイ宿泊者が少なく、担当である尹コサニム(居士)と沈ポサルニム(菩薩)が山を案内してくれた。樅ノ木林道とは別に、僧侶が散策するという裏道を行く。人影はなく、歩きやすい。大きな岩が多いものの、整備された山道はここちよく、時おりリスが顔を見せるなど、山行を満喫できた。
◇忠清北道報恩郡俗離山面法住寺路405(℡8243‐543‐3615)
弥勒信仰 弥勒菩薩を本尊とする信仰。仏滅後56億7000万年ののち、再び弥勒がこの世に現れ、釈迦の説法にもれた衆生を救うといわれる。新羅では「花郎は弥勒の化身」として護国思想と結びついた。
宋寛(韓国文化研究家)
(2017.8.15 民団新聞)