掲載日 : [2017-08-30] 照会数 : 8894
韓国テンプルステイ<11>頭輪山 大興寺
[ 西山大師 ] [ 1000体の仏像が並ぶ千仏殿の外観 ]
義僧将の西山大師まつる表忠祠
韓国の最西南部、海南(全羅南道)に行くにはソウル、釜山いずれからも高速バスで5時間はかかる。ターミナルから大興寺までは路線バスで約20分。
寺の駐車場から洗心橋をわたり渓流に沿って40分ほど歩くと境内に着く。途中、彼岸橋や般若橋など9つの橋があり、1つわたるたびに心の荷物をひとつずつ下ろしていくといわれる。
山門の一柱門は柱が一列に並び、「一心」の意味をこめている。世俗と浄土を分けるこの第1関門をくぐると、四天王のいる天王門、不二門(別称・解脱門)を経て本堂にいたる。
後方に広がる道立公園・頭輪山(704㍍)に関する説明板によると、そこから見える稜線が横に臥している仏さまのように見えるとのこと。山が寺院全体をすっぽり包みこむような感じで、清浄な雰囲気が印象深い。山の頂上からは絶景の多島海を一望に見わたすことができる。
426年に新羅の浄観尊者が創建したとの説があるが、514年に阿度和尚が建立したというのが有力らしい。朝鮮朝時代、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)のときに義僧兵【別掲】の精神的支柱となった西山大師=写真上=は、妙香山で入寂する際、「頭輪山は火・水・風の3つの災難がなく、法を広めるには適地である。自分の衣鉢(いはつ)をそこにおさめよ」と遺言した。
その教えを継承していく過程で草衣禅師、梵海師をはじめ大宗師や大講師といった高僧を輩出し、韓国仏教の中心道場となった。最初は大屯寺と呼ばれたが、20世紀初めに大興寺に改称された。
西山大師をまつる「表忠祠」は1669年、弟子たちによって建てられた。本来、儒教形式の祠堂であるが、義僧兵として活躍した松雲大師(四溟堂)らとともに奉安されており、護国寺院のシンボルといえよう。ちなみに、松雲大師は密陽市(慶尚南道)の「表忠寺」にまつられている。近年、朝鮮通信使研究の進展とともに義僧兵の評価が高まりつつあるのはよろこばしい。
大寺院にふさわしく殿閣が多い。礼拝をおこなう大雄宝殿には釈迦三尊仏や16羅漢がまつられ、やや曲がりくねった太い柱が歴史を感じさせる。一度も火災に見舞われなかったのは西山大師の指摘どおりで、功徳を感じずにはいられない。
テンプルステイ担当の金慶淑さんは「1000体の仏像が並ぶ千仏殿の外観はまさに飛翔せんとする鳥の姿のように美しい」と指摘する=写真下。仏像は慶州産の玉石でつくられた。
山中には8つの庵があり、そのひとつ北弥勒庵に安置されている磨崖如来座像はすばらしく、一見の価値がある。名筆家として知られる秋史・金正喜の書など見どころは多い。
◇全羅南道海南郡三山面大興寺路400(℡8261・534・5502)
義僧兵 16世紀末の壬辰倭乱の際、全国の寺院で義僧兵が豊臣軍に抵抗。特に高齢の西山大師とその弟子松雲大師が義僧兵5000人を率いて豊臣軍を打ち破る活躍ぶりをみせた。
宋寛(韓国文化研究家)
(2017.08.30 民団新聞)