掲載日 : [2017-10-11] 照会数 : 5921
訪ねてみたい韓国の駅<14>京義線 新村
[ 駅ビル横にたたずむ旧新村駅舎。隅に追いやられたようで可哀想 ] [ 現役時代の新村駅舎。ドラマなどにもよく登場した(2004年8月撮影) ]
韓国最古の駅舎、姿変え保存
延世大学がある新村は、隣の梨花女子大学周辺とともに、韓国最大の学生街だ。狭い路地に、焼肉屋や居酒屋、カフェ、ブティックなどがずらりと並んでいる。
その、新村と梨大のちょうど中間に、韓国鉄道公社の新村駅がある。ソウル駅と民間人統制区域内の都羅山駅を結ぶ京義線の駅だ。地下鉄2号線の新村駅からはだいぶ離れており、区別するために「新村汽車駅」とも呼ばれる。
今は堂々とした駅ビルが建つ新村駅だが、正面階段の脇には、小さな木造駅舎がある。1920年に竣工した、開業以来の旧駅舎だ。現在は内部が公開され、観光案内所として利用されている。
旧駅舎が、現在のような姿になったのは、今から10年ほど前のことだ。2000年代初頭、新村駅に民間資本による駅ビルの建設が決まり、旧駅舎は解体されることになった。
ところが、駅ビルの工事がある程度進んだ頃、旧新村駅舎の保存運動が起きた。実はこの駅舎、赤レンガの旧ソウル駅舎(1925年竣工)よりも前に建てられた、現存する韓国最古の駅舎だったのだ。帝国主義日本の植民地にされていた時代の建築であるため、大きな議論となったが、2004年に登録文化財第136号に指定。一転して文化財として保存されることになった。
ところが、問題はそこで終わらなかった。すでに駅ビルは工事が進んでおり、旧駅舎は正面階段を干渉していたのである。
本来なら、駅舎を数メートル移転して保存するところだが、時間的にも予算的にも、旧駅舎をそっくり動かすということはできなかったらしい。結局、旧駅舎は待合室のある母屋はそのまま保存されたものの、階段予定地に干渉していた事務室部分だけ解体されて、反対側に復元された。母屋の後ろ、向かって左側に延びていた事務室を、向かって右側に作り替えたのである。歴史ある旧新村駅舎は、正面から見ると左右逆の形に変わってしまった。
確かに、歴史ある新村駅舎は残った。だが、現代人の都合で形を変えられた今の姿が、果たして「保存」と言えるのだろうか。留学生時代、この駅舎に親しんだ筆者としては、複雑な思いである。
「保存」された新村駅舎は、しばらく外から眺めることしかできなかったが、2012年から観光案内所として活用されることになった。赤い制服を着た「動く観光案内所」ガイドスタッフの基地にもなっている。かつてのホーム側には駅ビルが立ちはだかっているが、改札口の面影は健在だ。軒先に、キャットフードが少しだけ残った皿が置かれていた。
「毎日餌をもらいに来る猫がいるのよ。定期列車ね」
皿を片づけに来た案内所のスタッフが笑った。
駅ビルの階段を上って現在の「新村汽車駅」を訪れると、ほとんど人影はなかった。この駅を発着する電車は、1時間に1本しかない。改札向かいには「新村ミリオレ」があるが、2012年に経営難に陥り、現在は閉鎖されている。東大門で成功したファッションビルだが、学生街には合わなかった。
駅ビルに譲って姿を変えた旧新村駅舎が、なんとも可哀想である。いや、観光案内所として、開業100年を前にした今も毎日働いているのだから、むしろ幸運と言えるかもしれない。
栗原景(フォトライター)
(2017.10.11 民団新聞)