掲載日 : [2005-06-22] 照会数 : 6095
在日百年 〈物〉が語る歴史 第2部−4(05.06.22)
崔承喜公演パンフレット
熱狂呼んだ最後の舞台
朝鮮半島の南北分断からいまや半世紀以上を経過している。南北の対立のなかで、その存在がかき消されていった人々は多い。崔承喜(1911〜1969?)もその一人として挙げることができる。
崔承喜は戦前、朝鮮・日本はもとより欧米・中国を舞台に活躍した舞踊家で、その踊りは多くの人々を魅了した。1940年に欧米公演から帰国して以後、主に中国で前線慰問や一般公演をおこなうなか、1942年および44年に東京で連続公演が開かれた。写真にあるのは、1944年1月27日〜2月15日の20日間にわたり帝国劇場で催された公演のプログラムと舞踊曲目の解説書である。
そこからは、上演期間を10日間で分けて2回の「独舞曲目」のメニューが組まれていること、「新しき東洋舞踊の創建」を掲げ、朝鮮のほかに中国や日本の故事、伝承、伝統芸能・芸術にちなんだ作品が配されていることなどが分かる。この東京公演は連日満員の盛況であったと伝えられる。これは戦前・戦後を通じ、日本における最後の舞台となった。
戦後、崔承喜は「朝鮮民主主義人民共和国」に身を置いたが、1960年代に粛清された。大韓民国においては「越北」人士としてやはりタブーとされるほか、戦時期の慰問活動などから「親日派」との批判も残った。崔承喜の存在と事蹟は、南北それぞれの政治の論理から双方で長らく顧みられることはなかった。1990年代以降から南北で名誉回復や再評価の動きがあらわれはじめ、この10年間に韓国と日本ではテレビ番組・映画の制作や関連書籍の出版などもあいついだ。写真や文献では舞踊の躍動感を充分に伝えることはかなわないが、この間にフィルムの新たな発見もあり、実際に踊っている姿に接することができるようになった。
何も崔承喜に限らない。南北分断によって失われたものはあまりにも大きく、克服されるべきものはあまりにも多い。
(在日コリアン歴史資料館調査委員・宮本正明=(財)世界人権問題研究センター専任研究員)
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(2005.06.22 民団新聞)