掲載日 : [2005-06-22] 照会数 : 9877
松代地下壕ラッシュ…年間10万人が見学
[ 課外学習で象山地下壕を見学する高校生たち
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中高校生中心 強制労働を追体験
【長野】長野市松代町の戦争遺跡、象山地下壕が小学校から高校までの児童・生徒を中心に年間10万人の見学者でさながらラッシュの様相をみせている。児童・生徒は薄明かりの中、岩盤に残る削岩機の穴やトロッコの枕木跡に目をこらし、徴用され工事に携わった韓国人の怒りと悲しみの声に耳を傾けている。89年以来の総入場者数は昨年までに160万人を超えた。
長野市観光課では89年から象山地下壕の一部を臨時に公開した。独自に地下壕調査に取り組んだ私立篠ノ井旭高校の生徒たちが壕の保存と「平和祈念館」の建設を呼びかけたことがきっかけだった。市は壕内を整備、翌90年からは安全の確認できた壕内500㍍に限り一般に公開している。
見学者が目立って増え始めたのは5、6年前ごろから。それからは毎年10万人を超すようになった。特に4月から6月にかけて集中している。昨年は初めて見学者が14万人を超えた。
「松代大本営の保存をすすめる会」の幹事で現地ボランティア・ガイドを務める島村晋次さんによれば、中・高校生は大阪はもとより沖縄、長崎、広島などからも訪れる。修学旅行の事前・事後学習、修学旅行、課外学習に組み込んでくるという。同会では年間10万人の見学者のうちの約2割を案内している。
地下壕内部に入るといたる所で過酷な労働の跡を追認できる。岩盤に突き刺さったままのロッドや、掘削に使ったダイナマイト用の穴はいまでも生々しい。
工事は昼夜問わず12時間労働の2交代制。なかでも韓国人はアセチレンランプだけを頼りに最先端のいちばん危険な所で過酷な労働に従事させられたという。岩盤には懐かしい故郷を偲ぶかのように「大邱」という文字も見られた。
工事に従事した崔小岩さんは生前、次のように語っている。「発破をかけると岩の粉がもうもうとしてあたりは見えず、目が痛い。そこへトロッコが突然来たりする。岩が落ちてけがをしたり、いつ死ぬかと、ただそればかり考えていた」。
坑道最深部の行き止まり地点には高校生の無言の祈りを伝える折り鶴がいくつも置かれていた。島村さんは「観光目的でも帰るときは涙を流し、『大変なことをやった』と話してくれる。こんなものが多くの韓国人の犠牲のうえにたってつくられたという事実を知ってもらうのがなによりも大事」と話している。
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松代大本営とは
太平洋戦争の末期、旧日本軍指導者が「本土決戦」に備え、東京にあった「大本営」(天皇の最高統帥機関)を移転しようと、長野県埴科郡松代町の3つの山を縦横に掘削した巨大な地下壕郡。象山に政府機関、舞鶴山に大本営と天皇の仮「御座所」、皆神山に食糧貯蔵庫を計画していた。危険な堀削のほとんどを韓国人が担ったという。その数、約7000人とされる。この半数が徴用、ないしは強制連行だったといわれている。44年11月から掘り始め、平均して計画の約70%を完成したところで敗戦を迎えた。総延長10㌔という規模や政治・軍事上の意味から日本に残存する戦争遺跡の中でも「超一級」の史跡とされる。
(2005.06.22 民団新聞)