掲載日 : [2005-06-22] 照会数 : 8396
特集 国交40周年…停滞と変わったこと
[ 〞ヨン様〟を成田空港で出迎えるファンたち。韓流現象が日本中を席巻=04年 ] [ 2002年W杯共催では韓日両国の市民が共同で応援した ]
人の往来は400倍に、姉妹友好都市100組超す
日本23都市結ぶ
65年当時、韓日両国を結ぶ定期路線は、大韓航空(KAL、当時は公社)と日本航空(JAL)が金浦〜羽田間をそれぞれ週3便ずつだ。現在は仁川、金浦、釜山、済州の4都市と日本の23都市を結ぶ路線は多いときで1日400便を数える。
03年11月から運航を開始した金浦空港と羽田空港を結ぶ国際チャーター便は1日4便を運航しているが、ビジネス需要に加え、日本の「韓流」を追い風に各便とも搭乗率70%を超えるドル箱路線になっており、8月からは4便増発し、1日8便となる。
旅客船は70年から下関と釜山を結ぶ関釜フェリーがスタートし、現在、釜山と博多、下関、大阪などを結ぶ航路は週70便を超す。
04年に両国を往来した人は、訪韓者が244万3000人、訪日者が156万9000人と、合わせて400万人にのぼった(韓国観光公社調べ)。65年の年間1万人と比べれば400倍も増えたことになる。
ヒトの動きはモノの往来も促す。65年の対日輸出額は4400万㌦、対日輸入が1億6700万㌦と、貿易額総計は2億100万㌦であった。04年は、輸出が217億100万㌦、輸入が461億4400万㌦と合わせて678億4500万㌦に達し、65年との比較では336倍も増加した(韓国産業資源部)。
韓国にとって日本は、中国、米国に次ぐ3番目の輸出市場であり、日本にとっても韓国が第3位の輸出市場だ。
橋渡し役の民団
国交正常化以前から韓国との民間交流を進めたのが日韓親善協会。76年に中央会が設立される前から60年代に地方の協会が結成された。61年の山口、長崎県をはじめ、熊本、宮城、島根、広島、大分県などがそうだ。地方協会の設立には、祖国との交流を熱望する地元民団が両国の橋渡し役となった。現在、日韓親善の地方協会は44県、韓日親善協会は11協会。
国土交通省によると、姉妹友好都市の第1号は、68年に提携した蔚山市(慶南)と萩市(山口県)。70年代には11組、80年代には21組、90年代には51組がそれぞれ姉妹結縁を行い、現在は100組を超す。90年代以降急増したのは、88年のソウル五輪開催と日本側自治体の地域国際化推進が大きく影響した。
修学旅行先1位
72年から私立高校に解禁された海外への修学旅行は、04年度データ(韓国観光公社)によると、行き先トップが韓国で(198校、2万8274人)、海外修学旅行実施校の20%以上が韓国を選び、近年では高校だけでなく中学校も韓国への修学旅行を実施している。「安く、近い」のが最大のメリットで、修学旅行での交歓会をきっかけに姉妹校提携も増えている。
空前の韓流現象も
88年に日本の大衆文化開放が一部実施され、04年の第4次開放で日本語の音楽CDの販売などが認められた。これに呼応するかのように日本では韓国ドラマ「冬のソナタ」の大ヒットなど韓流現象が起こり、韓国ドラマのロケ地訪問ツアーもブームとなった。韓国でも日本のポップスやアニメなど日本文化に対する関心が高まっており、双方の交流は増える一方だ。
近年、韓国語を学ぶ人も急増している。韓流の後押しでNHKのハングル講座の受講生が20万人を超したのをはじめ、民団が主催する韓国語講座はどこも盛況でうれしい悲鳴をあげているほどだ。90年代以降、韓国語講座を開設する大学、高校が増え続け、現在、4年生大学では半数近くが導入し、この10年間で倍増した。大学生が100人に1・5人、高校生が1千人に1・5人の割合で学んでいる。04年5月現在、韓国語を教えている高校は247校、6960人にのぼった(国際文化フォーラム)。
韓国教育財団が韓国語能力試験をスタートさせたのは97年。第1回目の志願者は1529人で、04年は6190人に増えた。大学入試センターの選択科目にも98年から韓国語が採用された。
スポーツ交流も
86年アジア大会および88年オリンピック大会のソウル開催は、日本人の韓国に対する認識を大きく変えるきっかけとなった。日本マスコミの韓国報道は極端に政治に偏りがちだったが、86・88年のイベントを契機に市民の生活を紹介する記事が増えていった。
韓日交流に決定的な変化をもたらしたのが、サッカーの2002年W杯共催であった。両国民が共同応援するなど、これまで見られなかった光景があちこちで繰り広げられ、両国市民の垣根をぐっと低くした。03年から韓日共同未来プロジェクト事業がスタートするなど、青少年のスポーツ交流が急増したのはその一例といえよう。
(2005.06.22 民団新聞)