掲載日 : [2005-06-29] 照会数 : 3808
【解説】韓国の選択肢狭める「民族理念」
〞一方主義〟に歯止めかかるか
【解説】 盧武鉉政府は統一・外交・安保を包括する韓半島平和発展の基本構想であり、韓国を東北アジアの中軸国家へと導く戦略構想として、平和繁栄政策を掲げてきた。核心は、北韓核問題を周辺国と協力して平和的に解決し、これを土台に南北の実質的な協力と軍事的な信頼を高め、朝米・朝日の国交正常化支援を通じて韓半島の平和定着を図り、南北の繁栄に向けて経済共同体の形成と民族的な同質性を回復することで、平和統一への基盤を造成することにある。
この政策の基調自体は、金大中政権時代の包容政策を踏襲している。しかしこの間、南北関係は停滞を余儀なくされ、鄭統一部長官の側近も語っているように、長官級会談などによって「金大中政権時代の関係にまで戻した」(朝鮮日報6月26日付)というのが実情だ。
理由としてまず、核開発疑惑の再浮上や日本人拉致事件などによって、米日を中心に国際的な圧力が強まり、北韓が極度の緊張状態にあったことがある。また、その過程で平和繁栄政策の実効性に対する疑念が内外で広がり、内政問題とも絡まって韓国内部の葛藤が強まったことも無視できない。
包容政策の金大中政権は一方で、軍事挑発を断固排除する側面を強調してきた。北韓は99年6月、西海の38度線を挟む緩衝海域に軍事艦船を南下させ、交戦のあげく手ひどいダメージを受けた。このとき、甘い対応が挑発を許したとする批判と肥料支援の即刻中止を求める声が強まった。しかし、金政権は包容政策に変化はないと強調、肥料支援も予定通り行った。
北韓に断固対処する一面を見せつけたこの一件は、包容政策の精神を内外に伝え、甘い側面に不安を抱いていた韓国国民も信頼を寄せる契機になったと言われる。その点、平和繁栄政策は運用面で断固とした側面を見せてこなかった。
対北配慮を重ねたにもかかわらず、南北関係は前政権の成果をかろうじて継承するにとどまり、平和繁栄政策は結果的に「持ち出す一方」の印象を強めた。盧大統領がドイツを訪問(4月)した際、「対南一方主義(韓国への一方的な対応)」の北韓を手厳しく批判したのは、そうした苛立ちの反映だ。それだけにこの2カ月間の進展は、北韓が何らかの理由で再び中断する憂慮がつきまとうとしても、平和繁栄政策の可能性を再び膨らませるものと言えよう。しかし、新たな難題が浮上している。
北韓はこの間、「民族同士の理念」を随所で強調してきた。先の次官級会談の共同発表文に、「我が民族の理念に従って」との文言を意図的に加えたのをはじめ、労働新聞は韓国戦争55周年の社説で、「我が民族同士で力を合わせれば何も恐れることはなく、その理念を反外部勢力、自主統一実践に具現すべきだ」と主張したのはその典型だ。
6・15頂上会談までの10年間、北韓は「通米・用日・封南」で一貫してきた。韓国を対等以上の立場から封じるために、対米関係改善を優先して軍事的脅威の軽減と経済制裁の解除を図るのが「通米」、日本と国交を正常化させて経済的な実利を得るのが「用日」だ。この戦略が行き詰まり、目的である「封南」を「封米」・「封日」のための手段である「用南」に転換させ、これを重視する傾向を強めている。
反米・反日民族統一戦線に韓国を巻き込もうとするものであり、文字通り「対南一方主義」によって韓国の対外政策の選択肢を狭めようとするものだ。平和繁栄政策ならずとも、南北交流を進展させる過程では、この種の危険性を完全に排除するのは容易ではない。であればこそ、「民族同士の理念」に翻弄されることなく、平和統一を担保すべき韓国はあくまで、人類普遍の価値観に立脚することを内外に繰り返し闡明(せんめい)する必要性を意識しなければなるまい。
(2005.06.29 民団新聞)