掲載日 : [2005-07-06] 照会数 : 5868
<コラム・布帳馬車>「キムチ・アジュマ奮闘記」
大阪市は生野区桃谷の通称「朝鮮市場」に「あこの豆もやしはおいしいで、アジュモニの体形ともよー似てるわ」「キムチも懐かしい味がする」という評判の店があると聞き、訪ねてみた。
「朝鮮市場」で豆もやしを扱う店はたくさん立ち並ぶ。評判の店はというと、商店街の中ほどにあった。
いまにもバケツからこぼれそうなその店の豆もやしは太めで、シャキっとしていた。店の入り口にドカッと座り、もくもくと仕事をこなしているのが康アジュモニだった。その恰幅の良さは確かに店の豆もやしを思わせた。
アジュモニは済州道から渡日した。大阪に着いたときは30歳を過ぎていた。当時の生計手段といえば内職で、「食べていくのが精一杯だった」。
ためしにと手作りのキムチを売ってみたところ、これが思いのほか売れた。「これを逃しては」と露店を出し、6年後には今の店を構えた。学校帰りの娘と息子にも手伝わせた。もう40年も前のことだ。
両手は〞キムチ色〟に染まり、小さなシミが点々としている。だが、手のひらはふっくら。ツヤもある。まるでアジュモニの人生が凝縮されてしっかりと刻まれているかのようだった。
「子どもたちが私の生きる糧やった」というアジュモニ。7人の孫に囲まれ、えべっさんのような幸せそうな笑みを浮かべていた。
顧客からは「笑顔のかわいいアジュモニ」と呼ばれている。
(T)
(2005.07.06 民団新聞)