掲載日 : [2005-08-17] 照会数 : 10618
光復60周年式典…先人に恥じぬ未来創る
[ 諸懸案の解決へ決意を新たにした中央記念式典=8月15日、日比谷公会堂 ]![](../old/upload/43042f1393c00.jpg)
不屈の精神 今こそ
感慨を胸に3千人結集
解放60周年を祝う光復節中央記念式典が15日、東京・日比谷公会堂で開催された。金宰淑中央団長は韓日の架け橋の立場から、毎年8月を青少年のための「韓日未来月間」にしようと慶祝辞を通じて呼びかけた。感慨を胸に会場を埋めた3千余人の同胞は、6・15南北共同宣言に基づき、韓半島の平和定着と統一達成に全力を尽くす−−など、5項目の決議文を満場一致で採択した。2部はKBSの人気番組「ノレチャラン(のど自慢)」で大いに沸いた。また、和合を期した民団・総連の共同祝祭が京都と山口で開かれたほか、全国各地で多彩な光復節行事が行われた。
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中央式典を主管した東京本部の李時香団長は開会辞で、「暗黒から光を取り戻した解放の日に当たり、地方参政権獲得など懸案解決に決起しよう」と呼びかけた。盧武鉉大統領は、国民と海外同胞に向けた慶祝辞(羅鍾一駐日大使代読)で、分裂の歴史に終止符を打ち、統合の歴史を開いていこうと訴えた。
金宰淑団長は韓日の節目の年が、歴史認識問題などでギクシャクしたことを踏まえ、揺るぎない韓日善隣友好関係を牽引する民団主導の「韓日未来月間」構想を打ち出した。韓日の青少年が毎年8月、文化・芸術、スポーツ交流などを図っていこうというものだ。
続いて日本の各政党代表が来賓あいさつに立った。自民党の田村耕太郎参院議員は「韓日の架け橋役を担う在日韓国人の努力に感謝する。率直な意見交換で両国間の葛藤克服を」と述べた。公明党の太田昭宏幹事長代行が「台頭した韓日間のナショナリズムを抑えるには、理性と民間交流が必要。韓国で永住外国人の地方選挙権が成立した。今度こそ日本が成立させる番だ」とアピールすると、大きな拍手が鳴り響いた。
民主党の江田五月参院議員会長は「8月15日は日本人にとって過去の歴史を忘れてはならない日だ。国民レベルの友情だけでなく、政治面でも韓国とすばらしい関係をつくろう」と訴えた。日韓議員連盟の白眞勲幹事は「8月6日に日本の議員として初めて在韓被爆者の前で追悼辞を読んだ。参政権同様未解決の問題に全力で取り組む」と新たな決意を示した。
「韓半島の平和定着と統一達成」「同胞社会の和合に積極努力」「共生社会実現のための参政権獲得運動継続」などを盛り込んだ決議文を採択した後、東京本部の李団長は、12日に杉並区教委が「つくる会」教科書を選んだ事実を重くみて、同区教委に緊急抗議行動を取ると強い口調で表明、会場もこれに呼応した。 2部の歌謡ショーではテジナ、ソルウンド、李自然など男女7人の歌手が、ヒット曲を熱唱して会場を沸かせた。ノレチャランは120余人の中から予選を通過した22人のうち、留学生の韓永蘭さんが最優秀賞に選ばれた。
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往時を顧みる会場
会場の同胞は光復60周年に、それぞれの思いを込めた。
青商連合会初代会長の安秉元さん(64)は、「自宅が民団中央本部屋舎があった文京区だったためか、草創期を支えた歴代中央団長がよく訪ねてきた。これだけの人物と身近に接してこられた自分は、民団の申し子のようなもの。目に見えないこの絆を、大事にしていきたい」と語る。
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93歳の金末珠ハルモニ(群馬県本部・黄命東顧問のオモニ)は、80歳を超えてからは毎年、今年が最後の光復節だろうと思っているうち、60周年を迎えた。「昔は差別が厳しく、韓国人であることを隠したのに、孫たちは大いばり。いまがいちばん幸せです」と目を細めた。
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在日3世で高校で韓国語講師を務める李貞栄さんは、ノレチャランに参加するため大阪から2人の幼子を含め、応援団11人を引き連れて会場に一番乗りした。高い交通費を使ってまで参加したのは、「3世が韓国語で明るく歌っているところを本国の人たちに見てほしかったのと、生徒たちが韓国語をもっと楽しく勉強しようとの動機づけにもなるから」と笑った。
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練馬区の李永華さん(78歳)は、祖国解放の45年当時は大学生。朝鮮日報社に入社するはずが、韓国戦争のため実現しなかった。「まともな就職もできず、ビルの管理人などをやりながら生活してきた。子どもには差別されない環境を作ってあげたかった。おかげで長男は弁護士、次男は医者、5人の子どもみんなが韓国籍で堂々と生きている。隔世の感がする」と感慨深げだった。
(2005.08.17 民団新聞)