掲載日 : [2005-08-31] 照会数 : 11008
同人誌「鳳仙花」20号への歩み…《代表》呉文子
[ 読者の共感を得て粘り強く14年余で20号に到達した ]
[ 編集委員の皆さん(左から)沈光子さん、趙栄順さん、呉文子さん、李光江さん ]
在日女性の思い紡ぎ…自立の心と共生への模索
朝露をたっぷりと吸って、色とりどりに群れをなして咲いている鳳仙花。
「ウルミテソン ボンソンファヤ」と思わず口ずさみたくなる。盛夏に祝う誕生歌も、いつの間にか20回を数えた。書棚に並んだ20冊の背文字を眺めながら、私は『鳳仙花』を誌名にしたあの日のことを思い起こしている。
「強い日差しを浴びて萎たれても、また明日になればよみがえる逞しい花、弾け飛んだ種はしっかりと大地に根をおろし新たな芽を育む」と書かれた新聞の花紀行文に、私たちは在日のオモニたちの姿を重ね合わせたのだった。
オモニの苦闘…重ね合わせて
それから間もなく70ページほどの薄い同人誌『鳳仙花』が誕生した。私たちが誌名に託した願い通り、同人から読者へ、読者から新しい読者へと女たちが種を蒔き、つぶやき集と言われた創刊号が、社会に向けて主張、提言する20号へと変化をもたらしたのである。
異国での差別や生活苦、そして儒教風土の中でのさまざまな桎梏にあらがいながら戦前戦後を生き抜いたオモニたちや、祖国の分断により二分化された在日社会に翻弄され苦悩する女たちの誌上での慟哭や恨解き(ハンプリ)は、多くの読者の共感を得た。
人権の視点で国籍を越えて
しかし本号の「幼いころの思い出」や「遠い日の想い出」などに見るように、語り継ぐ作業を通して、いつしか昔を懐かしむ望郷の念へと浄化され、穏やかな人生を克(か)ちとったようにも思われてならない。と同時に在日3世の林恵子さんは「在日の世界」の中で「……不幸自慢のように自身の境遇ばかり訴えるのでなく、政治に翻弄された過去を、人権という視点で一緒に考えていける時代を作っていきたい」と提言している。
分断社会に翻弄され人権の視点さえなくしていた私には、自身の過去を振り返ってみる機会ともなった。生まれ育ったこの地に、自立した在日として帰属する視点、国籍にこだわることなく民族に主眼を置いて生きようとする在日。
創刊当時には考えることさえもできなかった在日の意識の変化や生き方の多様化に驚きつつも、どこかでこの「自由な空気」を歓迎している自分がいるのも否めない。あまりにも分断の歴史が長く、イデオロギー論争にがんじがらめにされた時代の反動からだろうか……。
日本人寄稿に意識の変化も
また、毎号目次を飾ってくれた日本女性たちの寄稿は、負の歴史を傷(いた)む贖罪意識から共生社会を模索するものへと変化している。
そして本号「報告 異文化を愉しむ会」などに見るように、韓日の草の根の交流を通して、共生社会をめざす明るい未来を展望することができる。
これらの一つひとつの点が線に、やがて面となって女性たちのネットワークにつながっていく役割を果たせたらと願っている。
振り返れば、熱い想いだけで発刊にこぎつけた1991年から14年余、多くの読者や同人たちの熱いエールに励まされながら、それぞれの人生を共有し、そこから知ること学ぶことの多い日々だった。
これからも日本の社会で「在日」という言葉が心地よい響きで使われるよう、しなやかに、したたかに『鳳仙花』を編み続けたい。
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呉文子 1937年生まれ(在日2世)。東洋音楽短期大学(現東京音大)卒業後、音楽講師を経てママさんコーラス指導。東京・調布市町づくり市民会議諮問委員(13期・14期)、同市広報誌「新しい風」(6号〜14号)にコラム連載。1991年「鳳仙花」創刊。200部から現在1000部発行。同誌代表。編集委員は他に李光江、趙栄順、沈光子。
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共鳴し合った女性らの言葉…24日に記念講演
韓国文化院主催の「日韓をつなぐ文化交流の集い」が9月24日、東京・南麻布の韓国文化院ホールで開かれる。
安宇植・桜美林大学名誉教授の講演「日韓の女性たちが紡いだ言葉の輪」では、在日や日本の女性たちに自己表現の機会を提供してきた同人誌「鳳仙花」の20号に至る足跡をたどりながら、両女性の言葉の活動がどのように共鳴しあってきたかについて語り合う。
このほか在日女性作家、金真須美さんの朗読会や、韓国パンソリ保存研究会・日本関東支部支部長の金福美さんによるパンソリ公演「春香伝」も行われる。
時間13時半〜16時。定員200人(入場無料)。要申し込み。締め切りは9月12日。
申し込み・問い合わせは、同文化院(℡03・5476・4971)
(2005.08.31 民団新聞)