掲載日 : [2005-10-05] 照会数 : 8169
故李季徹さん福岡高裁で勝訴 在外被爆者手当
〞来日要件〟撤廃へ
韓国在住を理由に被爆者援護法に基づく健康管理手当と葬祭料の申請を却下したのは違法とした故李季徹さんとその遺族の訴えが9月26日、福岡高裁で認められた。これで手当を受給するために必要だった来日要件の壁が崩れた。国は翌27日には上告を断念する方針を固め、被告である長崎市に伝えた。
健康管理手当は現在、在外被爆者でも支給されている。同じ在韓被爆者の郭貴勲さんが「被爆者はどこにいても被爆者」と主張し、これが02年12月の大阪高裁判決で確定したためだ。しかし、日本政府が日本国外の居住地からの申請を認めていないため、一度は手続きのため来日しなければならなかった。このことが在外被爆者には大きな負担となっていた。
判決の結果、在外被爆者にとって当面残された課題は、被爆者手帳の取得に必要な来日要件だけということになる。厚生労働省はこの条件については撤廃を検討していないという。
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援護法の無条件適用へ法改正を
在ブラジル・在アメリカ被爆者裁判を支援する会の代表世話人、田村和之さんの話 厚労省は郭判決で敗訴した意味を十分受け止めず、この度またも敗訴した。厚労省がその場逃れの対応をしてきたためにこれまで何人の在外被爆者が亡くなったことか。在外被爆者が一切の条件なしに被爆者援護法に基づく各種の申請を行うことができるよう関係法令を改めることを強く要望する
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被爆の証人を探しています
大阪在住の李杏植さん
大阪市在住の李杏植さんが被爆証人を探しています。
李さんは43年から江田島で海軍第2兵学校の校舎建設に従事、44年から「山本組」という飯場に所属、安芸郡向洋で東洋工業株式会社(現在のマツダ)の地下壕を掘る仕事に就いていたところ、被爆しました。当時の年齢は22歳。名前は「鴻池伊三郎」と名乗っていました。飯場時代の仲間には李明植氏(通称・山本栄次郎、故人)がいます。李明植氏夫人、あるいは、李さんが広島にいたことをご存知の方はご連絡ください。
お心あたりの方は民団広島県本部へ。℡082・264・2345。
(2005.10.5 民団新聞)