掲載日 : [2005-10-26] 照会数 : 11232
浜美枝さんが語る十数年の軌跡<上>
[ 浜美枝さん ] [ 浜美枝さんが韓国で求めた伝統工芸品 ]
韓国に魅せられた日々
浅川巧・柳宗悦の著作に導かれて
神奈川県箱根町、芦ノ湖近くの静かな森の中にある浜美枝さん宅は、いくつかの古民家の梁や柱を譲り受けて造ったという大きな合掌造りだ。室内のそこここに古い民芸家具や骨董品が置かれ、韓国の伝統的家具や生活用品も数多い。古風なたたずまいにすっかり馴染んでいる。「もう女優業はやめてしまった」という浜さんだが、軽やかな話ぶりの中には、まだ女優のしなやかさが漂っている。浜さんが韓国に通うようになったきっかけは、浅川巧の存在を知ったからだ。浜さんに韓国への思いを聞いた。(インタビュー構成・吉成 繁幸)
民芸の心を探る旅 実際に暮らし人情を体感
ハングルを勉強中
きのう、ソウルから帰ったばかりです。韓国のコスモスはとてもきれいでした。心なしか日本のものより鮮やかに感じられるけど、どうかしら。
韓国には10数年前からたびたび行くようになって、ハングルも勉強しているのだけど、なかなか覚えられません。
骨董には、10代の頃、芸能界に進む前の中学生のときからとても興味があったんです。柳宗悦さんの民芸についてお書きになった本が大好きで、柳さんは私の「心の師」のおひとりなんです。
足跡をたどっていくと、やがて柳さんに朝鮮民芸品の魅力を伝えた人物の存在を知るようになりました。浅川巧さんですね。「民芸運動の父」と呼ばれた柳宗悦さんの、まさに水先案内人といった存在の方です。
たまたま高崎宗司先生(津田塾大学教授)のご著書『朝鮮の土になった日本人』を読み、浅川さんの偉業を詳しく知りました。そしていつの日か、お墓にぜひお参りしたいと心に決めるようになったのです。
浅川の墓突き止め
何度も韓国に通っているうち、彼がそうであったように、私も韓国の普通の人の暮らしを体験したいと思い始めました。それで縁あって知り合った李さんご一家の一室をお借りすることを決意しました。言葉の不安は少しありましたが、何よりも、韓国の人々と同じ暮らしを体験できる、その期待の方がずっと強かったのです。
私は韓国に行くたびに、野に咲くお花を手向けながら浅川さんのお墓参りをします。最初、墓所はなかなか見つからず、かつて浅川さんが勤めていた林業試験場に伺ってみました。すると、偶然にもそこに墓守りの方がソウルからいらっしゃっていたのです。そのときは、浅川さんが私を呼んでくださったのではないかという気がしました。
ソウルの隣りにある久里市の忘憂里の丘にある浅川さんの墓前まで案内していただきましたが、そこでもまた別の偶然に驚きました。その丘は、李さんご一家のお住まいのすぐ近くで、李さん宅から望めるのです。こんな偶然って本当にあるのかと、びっくりしました。
週末になると成田からソウルに飛びます。冬にはオンドルで暖をとりながら、李さんご一家とひとつの鍋をつつき談笑します。いろいろな家庭料理もごちそうになりました。
オモニのやさしさ
下町の銭湯にも通いましたよ。市場ではオモニやアジュマに混じって買い物をし、散歩がてらに浅川さんのお墓参りをする。そんな日々を過ごしていました。
オモニたちと一緒にいると、言葉はよく分からなくても、とても心がなごみますね。韓国の女性たちにはたくましさもあるけれど、何とも言えないやさしさがあって、その点に強くひかれます。そういう人達と触れ合っていると、本当に幸せな気分になっていく感じがします。それは、私たちが子供の頃に感じていたような、何か懐かしさとか暖かさみたいな、そういう気持ちです。
本当に、日本に帰るのがイヤになっちゃうんですよ。それで、こんなに楽しい日々をのんびり過ごしていていたのではいけない、そう思い直して、部屋を引き払うことにしたのです。もちろん、李さんご一家とは今も楽しくお付き合いさせていただいております。
■□
朝鮮焼き物の再興に力尽す
浅川巧(あさかわ・たくみ)1891年、山梨県生まれ。朝鮮美術工芸の研究者だった兄の伯教(のりたか)に続いて、1914年、朝鮮に渡る。当初、朝鮮総督府農工商部山林課に就職して、林業試験場で樹木の育成や森林の研究などに励む。やがて兄の影響を受けて朝鮮美術の素朴な美しさに強くひかれるようになり、その研究に没頭し始める。その過程で、柳宗悦らとともに朝鮮民族美術館の建設運動を進め、開館にいたる。その間にも、朝鮮の古い窯跡を訪ねて陶片を発掘するなどして、ほとんど途絶えていた朝鮮の焼き物の再興のために尽力した。朝鮮の風土や民俗をこよなく愛し、日ごろから朝鮮服を着て暮らし朝鮮の料理を好んで食べた。1931年、急性肺炎のため40歳の若さでソウル市内の自宅で死去。棺は浅川を慕う朝鮮の人々にかつがれ、ソウル郊外の共同墓地に埋葬された。
■□
朝鮮を愛した民芸運動の父
柳宗悦(やなぎ・むねよし=1889〜1961)東京生まれ。武者小路実篤、志賀直哉らとともに雑誌「白樺」の発刊に参加。「白樺派」と呼ばれる文芸運動の一員となる。当初はキリスト教神学や西洋美術の研究者であったが、やがて東洋の思想に興味を持つようになり、その過程で浅川巧と交流。浅川から朝鮮の美術工芸の素朴な美しさを教えられ、朝鮮美術の造形美に魅了されるようになる。1916年以降、たびたび朝鮮を訪れ、浅川らとともに朝鮮民族美術館の開館のために尽力する。朝鮮民芸品ばかりでなく、日本各地の無名の職人が作った民芸品の発掘・保存・収集にも精力的にかかわり、「民芸運動の父」とも呼ばれる。日帝時代、浅川とともに朝鮮を愛した数少ない日本人の一人である。
■□
プロフィール 浜美枝(はま・みえ)
1943年、東京生まれ。16歳で東宝からデビュー。ショーン・コネリー主演の「007は二度死ぬ」など、数々の映画に出演。現在も司会、パーソナリティなどで活躍。農政ジャーナリストの会会員。農林水産省などの各種審議会委員を務める。著書に「私の骨董夜話」、「農と生きる美しさ」など。
(2005.10.26 民団新聞)