掲載日 : [2005-10-26] 照会数 : 10012
在日バイオリン制作者、陳昌鉉氏に名誉町民章
[ 喜びを語る陳昌鉉さん ]
文化・芸術活動で地域貢献…長野県木曽福島町
【長野】在日1世のバイオリン制作者、陳昌鉉氏(76)が23日、木曽福島町から名誉町民として表彰された。この日は町村合併にともなう同町の閉町式も開かれ、約250人の関係者が陳氏の受賞を祝うとともに、昨年11月に陳氏が寄贈したバイオリン「木曽号」が、クラシック曲などを奏でて華を添えた。
「バイオリン制作の原点」
陳氏といえば、1984年11月、アメリカバイオリン制作者協会から世界に5人しかいない「無鑑査制作家特別認定」と「マスターメーカー」の称号を授与されるという金字塔を打ち立てた人物だ。しかし、不遇の時代も長かった。
明治大学を卒業後の57年、バイオリン制作に夢を求めて、各地を転々とし、最終的にたどり着いたのが、木曽福島町だった。この地で4年余り肉体労働に従事しながら、独学でバイオリン制作を始めた。また、李南伊さんと結婚し、最初の子どもをもうけた。
この思い出深い土地を「バイオリン制作の原点」と語る陳氏を、同町は温かく迎え、昨年9月の「木曽学シンポジウム」のパネリストとして招いた。そのお返しに陳氏は11月、自ら制作したバイオリンを「木曽号」と命名し、寄贈した。
その後も講演会や演奏会などで同町を訪れた陳氏は、「木曽の自然が感性を研ぎ澄ませてくれた」と述べ、交流を深めていった。
この日、夫婦同伴で式に臨んだ陳氏は、受賞後のあいさつで、「悠久の自然と伝統のある町が、わずか4年余り滞在した異邦人に賞を下さることに感謝する。この地の山々、谷に若き日の私の汗と夢がしみている。信州木曽から始まり、世界の舞台に立てたのも、この地の木々と日本人に支えられたからだ」と謝辞。「日本と韓国、日本人と在日の草の根の交流のために、命ある限りすばらしい作品をつくり続けたい」と結んだ。
友人代表の河正雄・光州市立美術館名誉館長は、「光州の私のコレクションルームにも陳先生のバイオリンなど弦楽4重奏用の楽器4点を寄贈していただいている。文化・芸術関係の地域貢献で、在日1世が名誉町民に顕彰されたのは初めてのこと。在日のみならず、本国国民にとっても励みとなる」と喜んだ。
その後、受賞を祝う関係者らは「ユーモレスク」や長野県にちなんで当地出身の文豪、島崎藤村作詞による「椰子の実」などの曲を「木曽号」の音色で堪能した。
(2005.10.26 民団新聞)