掲載日 : [2005-10-26] 照会数 : 7122
泣き笑い 初のソウル写真展 伝わった在日の思い
[ ソウル・プレスセンターで開かれた写真展「鳴呼!在日同胞」 ]
韓国で写真展を開くのは、スタッフの誰もが初めての経験。だからこそ、そこには誰も予想でき得なかった、今だから笑える話がある。
(文教局長・孫成吉)
準備不足も激励に支えられ
写真パネルは当初から持って行くことにしていた。韓国で新たに作るよりも、過去3回の東京での「写真展」で制作したものを活用した方が無駄がないと考えたからである。但し、それは文字通り、機内に持ち込むという、あまりにも素直過ぎる発想だったのだが…。
パネル輸送はハラハラ連続
展示する写真は全部で200点プラス解説文。梱包すると、1㍍四方大の箱が15個にもなった。先発4人が苦労して成田空港に持って行くと、100㌔オーバーで超過料金が10万円だという。
利用するA航空にはあらかじめ依頼してあり、Yクラスの場合1名に付き通常20㌔まで無料のところをCクラス扱いの30㌔まで許容してくれたにもかかわらずである。
泣きたい思いでいるとC次長が来て、「普通じゃない荷物ですね」と笑いながら、超過扱いを大幅に免除してくれた上、仁川空港でまっ先にピックアップできるよう、特別なシールまで貼ってくれた。
仁川に到着すると、展示会場まで運搬するトラックがきちんと待機していた。だが15個の段ボールを載せ、急発進して行ったトラックを見送った瞬間、全員の目が点になった。
荷台がオープンなのに、また高速道路を走るのにもかかわらず、シートもロープもかけないまま暴走して行ったのである。久し振りに見るケンチャナヨの世界にめまいを覚えた。「もし途中で落としたら、写真展は完全にアウトだな」とC君の自棄気味なつぶやきが空しく響いた。
会場に到着し、無事に届いていた積み荷にホッと胸をなでおろす。ただ当初2日間の約束だった準備日数が、直前に1日に短縮されてしまっていたので、すぐさま設営にとりかかることにした。
日本から来場涙ぐむ1世も
会場のプレスセンターは少し変わった構造をしている。第1・第2展示室の間に通路があり、突き当たりが化粧室になっているのだ。この沿道を行く人たちが、自由気ままに利用するから結構気ぜわしい。
ところが驚いたことにまだ作業中なのに、閉めている扉を開けて勝手に入って来ると、床に置かれたままの写真を平然と鑑賞して行く人たちが後を絶たないのだ。
しかもその日は、清渓川の開通後、最初の日曜ということもあり、会場に面する世宗路が大勢の人でごった返していたから大変である。気が早いと言うか何と言うか…。
だが、追い払うわけにもいかず、結局は在日と民団に関心を持ってくれるならば、まあ良いかと放っておくことに…。
突貫工事のような展示作業も無事終わり、今日はいよいよオープニング・セレモニーという朝、祝花をどこにも依頼していないことに気づいた。完全なミスである。今から頼むわけにもいかず、上司はもう仕方ないと庇ってくれたが、せっかくの写真展に無念である。
ところが、午後になるとかご花や生花が次々と運ばれて来たのだ。政府、政党、友好団体など、後援・協賛者はもとより、学校など思いがけないところからも数多くが届いた。計20個以上。お陰で会場の雰囲気も華やかになり、多くのご来賓を招いたセレモニーはとても盛大なものとなった。
来場された中には印象的な方も多い。渡したパンフレットを丸めて、気に入った写真(?)を叩きながら歩きまわっていた老齢のご婦人(怖くて誰も注意できず…)。展示を見る様子もなく、いきなり趣旨は何ですかと正面から訊いてきた若い雑誌記者(少しは見てからにしてほしい)。
もちろん、変わった人だけではない。在日学徒義勇軍の写真の中に、55年前の自分を発見して、しみじみと見入っていた小さな背中のハラボジ。「見た瞬間、全身に衝撃が走った。日本で過ごした記憶が走馬灯のように蘇った」と語ったご老人は昔、佐賀の炭鉱で働いていたのだという。
「在日同胞がこれほど苦労して来たとは知らなかった」と漏らした60代の牧師さんは、「良い勉強になった」ともつぶやいた。ある新聞の記事を見て、この写真展を見るためだけに日本から駆けつけた在日1世もいた。耳がよく聞こえないこの方は、専属のガイドに抱えられ、涙ぐみながら1枚1枚の写真を丁寧に見つめていた。一方で学生など、若い人が熱心に鑑賞していた姿も印象的であった。
教訓生かしてさらに充実を
韓国で開いた初めての写真展。準備不足だったり、不充分だった点が少なくなかったように思える。指摘を受けた一方、温かい激励も頂いた。もっとこうすれば良かったと反省する部分も多い。 それでも、本国の人々に在日同胞の歴史や民団の歩みを伝えようとの趣旨のもと、特に1世がどれほどまでに祖国を思い、献身的なまでの貢献をしたかということは、ある程度伝えられたのではないだろうか。
もちろん、写真展に足を運んだのは5000人に過ぎないから、それだけで目的のすべてを達成したとは言えないし、もっと効果的な別の方法があるかも知れない。
だが、住む国は違えども、同じ国民である在日の存在を語り継ぐには、この写真展のようなやり方も必要とされているのではなかろうか。いずれにしても次の機会には、さらにより良いものに発展させられればと思う。
(2005.10.26 民団新聞)