掲載日 : [2005-11-09] 照会数 : 10148
<寄稿>離陸するハングル1千万人運動 山下 誠
[ 山下 誠(神奈川県立鶴見総合高校教諭) ]
生徒の心に〞化学変化〟
新たな国際理解の扉開く
日本の高等学校で韓国語を学ぶ若者が増えている。履修者は毎年約6000人に及ぶ。語順も文法も日本語に近く、他の外国語と違って学びやすく、学習の達成感を得やすいことが後押ししているようだ。韓国語を学ぶことで得るものも多い。一つは欧米流の視点から離れ、日本と隣国との関係を客観的に位置づけられるようになること。韓国語の授業で学ぶものは単なる言葉だけではないのだ。神奈川県立高校で韓国語を教えてきた山下誠さんはこれを〃心の化学変化〃と呼んでいる。歴史認識問題で隣国との関係が問題になっているいま、高校生が韓国語を学ぶ意義がいかに大きいものなのか、山下教諭に寄稿してもらった。
「朝鮮語が本来持っている、ダイナミックでそれでいて優しい表情を、日本でも普通に目にすることができたら、どんなに素晴らしいことであろう」。かつて私が韓国語を学び始めた頃に発刊された小学館朝鮮語辞典の巻頭言の一節である。縁あって韓国語教師となった私は、その素晴らしかるべき光景がまさに我が目の前に広がりつつあるのを、至福の思いでみつめている。高校生のあいだに、韓国語の“確かな学び”の波が広がっているのである。
本校でも開設へ
他でもない私の勤務校でも来年度から韓国朝鮮語講座を開設することが決まり、第一次選択科目調査によれば、開校当初より設置されていた中国語やポルトガル語の3倍を超す40余名が希望していることがわかった。中学生対象の体験授業も好評だったことから新入生をあわせて60名規模での出帆となる可能性が高い。
さる調査によれば、韓国朝鮮語の開設校は03年現在で219校にのぼり、程度の差はあれ高校韓国朝鮮語教育の拡大傾向は全国的なものといえよう。
のめり込む生徒
もっとも、高校生たちが皆明確な目的意識をもって始めるかといえば、そうではない。
むしろ「できたらかっこいいだろう」という軽い気持ちや「何か外国語を学びたいと思い、英語は苦手だから」という消極的な理由の者が少なくない。
ところが、そんな生徒たちが「最初はこんな記号の文字絶対にわからないと思っていたのに、自然に覚えられて自分でも驚」きつつ、「駅にあるハングルで書かれた注意書きが読めた」ことを嬉しがったり、「むずかしいことはむずかしいけれど、語順が同じなので少しでも単語を覚えたら、文をつくれそうだ」と、身を乗り出さんばかりに勉強し始めるのである。
また、言語観そのものまで変化させる者もいる。そして、「ハングルをやり始めて、言葉と文字は漢字とひらがなとアルファベットだけじゃないとわかり、もっとたくさんの違った文字や言葉を使う国や人々のことを考えられる」までに視野を広げ、「ハングルがわたしに新たな国際理解の扉を開いてくれた」とはしゃぐ生徒さえもいる。
アジアを見直す
さらに、「実はヨーロッパの言語がやりたかった」というある生徒は、「当時は、“欧米はかっこよくてアジアはかっこわるい”という偏見があった。“ファッションはひと昔前の日本のようで、わけのわからない言語を怒ったような口調で話している”なんてイメージしか持っていなかったことは、今思うと恥ずかしく情けない」と慙愧の思いを吐露しながらも「自分の誤りに気づくのに、あまり時間はかからなかった」と率直だ。
韓国語に触れることで自らの偏見に気づき、同時にそれを乗り越えてしまったのである。あるいは、「ハングルを書いたり話したりしているうちに、だんだん親近感がわいてきた」という女生徒も、実は「前までは絶対に使いたくない言葉のひとつに入っていた」と自らを省みるまでになり、「チマチョゴリ着てる女の子たちが“アンニョン”って言ってるのを聞いたときはビックリした。通りすぎただけなのに耳に入ってきて、もしハングルなんかやってなかったら何も気づかずに通りすぎているんだろう」と、民族学校の生徒の存在を正面から受け止めてしまった自らの変化に驚いている。
陳腐なお題目には微動だにしなかった彼女たちの心に“化学変化”をもたらしたのは、日々書き話した韓国語であった。
そして何より、高校教育に携わる者としては、「この2年間は私のじまんだ。こんなに”勉強が楽しい!”って思えたのは韓国語が初めてだ」「韓国語の勉強をしている自分は、何かふだんの自分とはちがい,生き生きしていて嬉しい」と学ぶ喜びを取り戻し、自らへの信頼を手にしている彼らの姿に、随喜の念を禁じえないのである。
さて今、韓国語学習者をさらに増やそうという動きがあり、兼若先生はハングル1000万人運動を提唱されている。筆者もその後塵でも拝したいと思う一人であるが、敢えて言えば、「増やす」のではなく「増える」という方があたっているように思う。
確かな学び育む
真なるものは、自ずと広まるものだ。彼らにとっては、韓国語がまさに福音だったからである。我が鶴総の生徒は、来春その韓国語の道行きを歩み始める。その数60余名とは、在籍生の10分の1に肉迫する数字だ。ハングル1000万人運動は、実はもう滑走をはじめていて、離陸の時を待つばかりなのである。
私たちの務めは、韓国語との出会いが福音となるはずの人々にその機会を提供するとともにかの高校生が経験したような“確かな学び”の場を、さらに育てていくことではないだろうか。
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プロフィール
やました まこと
56年生まれ。神奈川県立鶴見総合高等学校社会科教諭。90年代中ごろから高校生や地域住民に韓国語を教えはじめる。日韓合同授業研究会に所属し、日韓教員交流に関わる。朝鮮語教育研究会会員。ハンギョドン(韓国語教授法研究トンアリ)会員。
(2005.11.9 民団新聞)