掲載日 : [2005-11-09] 照会数 : 10081
朝鮮通信使行列 埼玉・川越祭り 13日
[ 18世紀中期に羽川藤永が描いた「朝鮮人行列図」=東京国立博物館蔵 ] [ 江戸時代の雰囲気をとどめる町をパレードは進む ]
唐人揃いを華麗に再現
小江戸と呼ばれる埼玉県川越市の川越氷川神社祭礼(川越祭り)は、国の重要無形文化財に指定されている。今月13日のその祭りで、朝鮮通信使行列がほぼ150年ぶりに再現される。江戸時代、「唐人揃い」という演目で抜群の人気を誇った。朝鮮通信使一行が立ち寄ったことのない川越市に、なぜ「唐人揃い」があったのか。
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人気練り物150年ぶり〞小江戸〟の心意気を今に
川越市には、「鉤(かぎ)の手」「丁字路」「袋小路」「七曲がり」など江戸時代の城下町の面影を残す街路がそのまま残っている。火災の延焼を防ぐための蔵造り店舗や江戸時代に建てられた商家の町並みなど、今も当時の姿のままだ。
市内の無量寿寺喜多院は平安時代創建とされる古刹だが、その27代僧上でもあった天海和尚が徳川家康の厚い信頼を得ることで、川越は徳川家と深い絆で結ばれることになった。喜多院には、江戸城内にあった三代将軍・徳川家光の誕生の間や春日局化粧の間などが移築されている。その因縁もあって、将軍家が住むところが「大江戸」であるのに対して、川越は古くから「小江戸」とも呼ばれるようになった。
江戸時代を通して川越は大いに栄え、大商人を多く輩出した。祭礼も江戸にならって大規模に催され、今日まで江戸時代の祭礼様式や伝統を比較的忠実に伝えているとされている。
江戸の大祭と匹敵の豪華さ
大江戸天下祭り(神田明神祭り、日枝神社祭り)の様式をそのままならったとされる川越祭り(川越氷川神社祭礼。現在は、毎年10月の第3土曜日・日曜日に開催)は、祭りそのものが国の重要無形文化財に指定されている。現在の神田明神祭りなどでは姿を消してしまった豪華絢爛な山車(だし)の巡行が、祭りのハイライトとして華麗に繰り出し、江戸の神田囃しを源流とする古流のお囃しが町中に響きわたる。
江戸時代の川越祭りでは、山車の巡行の他に、各町内が趣向を凝らせたさまざまな仮装行列も雰囲気を大いに盛り上げていた。川越氷川神社に保存されている「川越氷川神社祭礼絵巻」(1826年)などによると、竜宮城をイメージした練り物や、大きな象の張りぼてなどが行進している。その中でひときわ目を引くのが、本町の練り物として登場している「唐人揃い」だ。「唐人」とは「からひと=韓人」のことで、江戸時代朝鮮人をそう呼んだ。「唐人揃い」とは、江戸まで来ていた朝鮮通信使行列のありさまを、衣装や小道具に至るまでそのまま模したものである。
実物見た豪商…川越でも展開
朝鮮通信使一行は江戸時代を通して12回来日し、そのうち11回は江戸まで来ている。しかし、川越へは一度も来ていない。通信使が通過した場所では、一行のパフォーマンスに影響された「唐子踊り」(岡山県牛窓)などの伝統芸能や祭りが今も残っている。通信使が一度も立ち寄ったことのない川越で、なぜその様子をそのまま移した仮装行列が派手に行われるようになったのか。
その鍵をにぎるのが川越の豪商の存在である。
江戸まで朝鮮通信使行列の見物に行った川越商人の記録が今も残っている。塩などをあきなっていた榎本弥左衛門(1626‐86年)が書き残した文書だ。1654年に朝鮮通信使が江戸に来たとき、彼はその行列を見るために赴き、行列の豪華さ華麗さに心底驚愕した心情などを詳しく書き綴っている。こんな金がかかっている豪華な行列は今まで一度も見たこともないと記すなど、商人らしい感想も漏らしている。
朝鮮通信使の来日は、江戸時代の人々にとっては現代の万博開催のような大イベントでもあった。「通信」とは、「信(ことわり)を通じる」という意味で、本当の目的は徳川将軍代替わりを祝賀するためであり、将軍が変わると通信使来日のスケジュールが検討され始める。出版文化が花開いていた江戸や京、大阪などでは、通信使来日に合わせて1年以上も前から「通信使見物ガイドブック」が数多く出版されていた。それには通信使一行の来日スケジュールや500人にも及ぶデレゲーションの人員構成、衣装や鳴り物などの予想記事などが掲載され、沿道や江戸の住人ばかりでなく、近郷・近在からガイドブックを手にした人たちが行列を見ようと大勢集まってきた。
例えば江戸・日本橋の白木屋呉服店前(旧・東急百貨店前)の特等席には有料の桟敷が設けられ、通信使の行列が通過する様子を、商家の旦那筋などがガイドブックと照らし合わせながら記事の当たりや見当違いを楽しんでいたという記録もある。庶民には無縁の有料特等席には、川越の大商人の姿もきっとあったことだろう。またガイドブックの版元は、記事の正確さを期すために来日の何年も前から対馬藩へ取材攻勢をかけていたとされている。
江戸時代初期に行列見物をした榎本弥左衛門ばかりでなく、花のお江戸の流行には敏感だったとされる川越の商人たちは、その後、幕末まで朝鮮通信使行列への興味は尽きなかった。川越氷川神社には、朝鮮通信使そのものを模写した「唐人揃い絵馬」(1716年)も保存されている。寄贈した人物は不祥だが、川越の豪商が絵師を江戸に派遣して描かせたものであることだけは間違いないだろう。
川越祭りでの「唐人揃い」の起源もはっきりしていないが、榎本弥左衛門は本町の商人であり、彼は1654年の行列見物から帰ってすぐにその仮装を思い立ったとも予想される。それほどに、朝鮮通信使の印象は鮮烈だったのだろう。
それにしても、本物そっくりの何十人分の仮装衣装や小道具、大道具などを揃えるには相当の財力が必要だったと想像される。こんなに金がかかっている豪華な行列は見たことがないと感心しながらも、それをそのまま再現しようと考えた、川越商人の豊かさと心意気が強く感じられる。
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一般市民、幅広く参加
民団をはじめ、後援団体多彩
今年は韓日国交回復40周年の節目で、韓日友情年でもある。それを記念して、「唐人揃い」をほぼ150年ぶりに復活させる運動を主に担ってきたのは、埼玉県内の市民グループだ。
高校教諭・江藤善章さんが代表を務める「埼玉・コリア21」が事務局を構成し、「復活! 朝鮮通信使‐唐人揃い‐国際交流・多文化共生パレード」実行委員会が企画を主催・運営している。後援者には地元の川越市と埼玉県、それぞれの自治体の教育委員会、民団埼玉県本部、朝鮮総連埼玉県本部なども名を連ねている(その他、駐日韓国大使館、韓国文化院、川越氷川神社、高麗神社も後援)。
今回のパレードの主役は、かつての豪商らに変わって、あくまでも一般の市民たちだ。実行委員会では、パレード参加者や資金協賛のほか、宣伝活動への協力、当日の交通整理などのボランティアまで、幅広い参加を呼びかけている。市民の反応も大変によく、用意している衣装ではとても足りないと、うれしい悲鳴を上げている。衣装作りは、韓国で唯一の伝統衣装専門学科がある培花女子大学服飾科の先生と学生さんたちに、縁あってお願いした。
韓日友好を願う、市民参加・手作りのパレードは、11月13日(日曜日)・午後1時から3時まで、川越市中心部、連雀町の連馨寺(れんけいじ)から札の辻交差点までの、有名な蔵造りの町並みを行く。
(2005.11.09 民団新聞)