掲載日 : [2005-11-16] 照会数 : 10221
韓日間の愛と平和を祈って…孫戸妍さんの短歌
[ 17歳で日本留学した際、日本の短歌を学んだことが孫戸妍さんの精神生活をきめた ]
[ 寄稿 中西 進 京都市立芸大学長 ]
寄稿 中西 進
もう一つの祖国を胸に秘めながら日の丸の旗振りし日のあり
激動を生きた思い切々…日本語での表現を選び
2005年6月、日本の小泉純一郎首相が韓国で首脳会談をおえた後、記者会見の席上で一首の短歌を披露した。
切実な願いが吾(われ)に一つあり諍い(いさかい)のなき国と国なれ
日韓両国の間に、もめ事がないようと思う切実な願いをたった一つのものとして、私は胸に抱いている、という歌である。作者は孫戸妍女史。つい2年前、80歳で世を去った。
胸中を吐露した作
この首相の紹介は日韓の友好上まことに見事であり、友好を悲願とした孫さんも、どれほどか嬉しかったであろう。私も嬉しかった。というのも、後半生の20年以上を、孫さんと親しくすごしてきたからである。
いま、孫さんが5巻の歌集に残した作品を見ていると、彼女の歌の主題は、愛と平和にあったと思われる。この第1の愛について、何よりも絶唱といっていい一首は、夫の死を嘆いた、次のものであろう。
君よわが愛の深さをためさんとかりそめに目を閉ぢたまひしや
残されたものは、俄(にわか)に死を信じがたい。冗談で目を閉じているのではないか、と思うことも多い。この歌も、そうした気持ちを元にしながら「俺が死んだら、妻はどれくらい嘆くだろう」とためしているのかと思い、悪夢の中に一縷の望みを託しているのである。
離別の悲しみ絶唱
この一首をはじめとして、孫さんは身近な人への愛を多くよんだ。それも彼女が祖国の解放、朝鮮動乱、軍政の重圧と続く暗い時代を生き、人間の離別の悲しみを、つぶさに味わったからにほかならない。
その体験から国家の平和への願いが、第2のテーマとして浮上してくる。少女時代に、日本語による短歌によって心の中を表現する方法を身につけてしまった彼女は、もうほかの形式をとることはできなかった。だから、韓国人だから時調(しじょ/韓国の国民詩)、日本人だから短歌と器用に分けることはできない。
このこと自体が、2つの国家によって引き裂かれてしまった孫さんの原点であり、そのために両国の友好を切実な祈りとする生涯が決定された。
もう一つの祖国を胸に秘めながら日の丸の旗振りし日のあり
まだ日帝時代によんだ歌である。すでにこの時から孫さんにおいては二国は一国として存在しなければならなかった。にもかかわらず、争いは終わらない。そこに、小泉首相によって取り上げられた歌のような願いも、切実に続くこととなる。
架け橋引き継ごう
孫さんはすでにいない。今後の日韓間の平和への祈りは、われわれが引きついでいく義務があろう。幸い日本の政府では重要な文化事業の一つとして孫さんの業績を顕彰し、短歌・時調によって日韓両国の間に平和の架け橋を渡そうとする試みを近く行おうとしている。
孫さんの日本語による伝記『風雲の歌人』も北出明氏によって執筆・出版されており、最近は孫さんの生涯を扱ったビデオ「諍いのなき国と国なれ」も新谷龍三郎氏によって、刊行された。多くの人びとが、これらによって愛と平和への祈りを、いっそう力強いものとしていってほしい。
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「諍いのなき国と国なれ」…生涯たどるビデオが完成
ドキュメンタリービデオ「諍い(いさかい)のなき国と国なれ−−歌人孫戸妍(ソン・ホヨン)の生涯」日本語版の販売が開始され、日韓親善協会中央会(斎藤十朗会長)主催により都内でこのほど開かれた完成試写会には、恩師や友人ら孫戸妍さんと縁のある人々が韓日両国から集まった。
03年に亡くなった孫戸妍さんは日帝植民地時代、17歳で日本に留学。1941年、帝国女子専門学校の担任から和歌の手ほどきを受けたのが始まりで、2人の師匠との出会いが彼女の運命を決定づけた。
佐佐木信綱からは「日本人の真似をせず、朝鮮固有の美しさを歌いなさい」と勧められ、中西進先生からは「万葉集は百済の影響を受けた作品なのだ」と励まされた。
1943年、韓国に戻ってからも歌を作ったが、韓国人がなぜ日本語で詩を創るのかとの非難に独りで数十年間耐え続けた。その後、皇室の「新年歌会始」に招待されたり、青森県六ヶ所村に歌碑が建立された。
長女で孫戸妍記念事業会の理事長を務める李承信さんは「母が求めたのは平和と愛。歌から言葉の力、母の思いを感じる。とりわけ韓日関係の架け橋役を望んでいた」と語った。
故人は、小泉首相が今年も繰り返した靖国神社への参拝で「諍(いさか)い」の絶えない韓日関係の現状をどのような思いで見つめているのだろうか。
ビデオとDVD(2500円、税・送料込み)の申し込みは(℡048・680・2080)、FAX(048・680・2083)新谷。
(2005.11.16 民団新聞)