掲載日 : [2005-11-16] 照会数 : 11537
とっておき韓日通訳秘話《7》崔銀珠さん(上)
意味の取り違えで赤面…自己研鑚へ一念発起
私は通訳者としての道をオリンピックとともに歩み始めた。父の赴任により日本での生活が始まったのは1972年の札幌冬季オリンピックの2年前。開会式では北朝鮮選手団の顔が普通の人の顔をしていることに少なからぬショックを覚えたものだ。当時、韓国の街角の反共ポスターに描かれていた鬼の顔ではなかったのだ。
高1で帰国し、韓国外国語大学通訳大学院在学中に通訳者としてデビュー。教授から同時通訳のパートナーを頼まれた。これまでを振り返ってみて、人柄や徳の深さに触れることの多い随行通訳よりも、どちらかと言えばドライな同時通訳が多かったのは、通訳者として幸運といえば幸運、不運といえば不運なことだったと思っている。
そして迎えた1988年のソウルオリンピック。冷戦が続く中、「東西の和合」をキャッチフレーズに、国を挙げて取り組んだ人類の祭典だった。私はソウルオリンピック組織委員長の通訳を務め、8カ国同時通訳で進められる開会式・閉会式で日本語を担当した。 コトが起きたのは開会式。コンノリ(民俗遊戯)で雌雄のコッ(太い綱)が激しくぶつかり合うクライマックス。私は感動に胸を詰まらせつつ、その情景について高らかに叫んだのだ。
「ただいま和合が絶頂に達しました!」
その日の夕方、当時のNHKソウル支局長から日本語の「和合」の持つもう一つの意味(男女の性の営み)を教えられ、赤面した。あの文脈ではまずかったのだ。穴があったら入りたい…。この出来事は日本への留学を思い立った契機となった。
同じ漢字文化圏である韓国語と日本語において、意味・用法の一致する漢語の割合は全体の中の8割とも9割とも言われている。しかし、細かいニュアンスまで突き詰めて見ると、その割合はもっと低いような気がする。
通訳者にとって単語・意味の不完全・不十分な理解は、時に致命的な失敗へとつながる。ここに挙げた「和合」はその一例。目指すべき理想はありとあらゆる単語について正確な知識と常識と感性を備えること。これが通訳者としての自己向上、リスク低減への道であり、20数年来の私のライフテーマである。
■□
崔銀珠(チェ・ウンジュ)
1959年韓国江原道生まれ。小学5年から高校1年まで日本で修学。梨花女子大英文科卒後、韓国外国語大通訳大学院韓国語・日本語科修了。お茶の水女子大人文科学研究科日本文学専攻修了、同大人間文化研究科比較文化学専攻満期修了。
95年から01年まで日本外国語専門学校非常勤講師(日韓通訳担当)、02年から東京外国語大大学院地域文化研究科(国際コミュニケーション専科)朝鮮語通訳担当講師。現在に至る。
(2005.11.16 民団新聞)