掲載日 : [2005-11-16] 照会数 : 15949
<社説>歴史資料館開設を前に
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「在日100年」熱く語ろう…糺すべき事実を直視して
乙巳条約は強制的締結
「乙巳保護条約」(第2次韓日協約)が強制締結されてから、明17日でちょうど100年になる。韓国の外交権簒奪と朝鮮統監府の設置を盛ったこの条約で、日本は韓国に実質的な支配体制を敷いた。韓国では今も、「くつわ」を意味する「勒」をあて「勒約(ヌンヤク)」と呼んでいる。
在日同胞社会が同条約を起点にした過酷な植民地支配政策によって派生したとの認識から、民団は今年を「在日100年」と位置づけ、歴史資料保存利用機関の設立を推進してきた。待望のこの施設は、東京・南麻布の韓国中央会館別館に設けられ、その名称も「在日韓人歴史資料館」と決まって、24日の一般公開を待つばかりである。
私たちはいま、在日同胞の歴史をめぐって、二つの要素を念頭に置かざるを得ず、そこから一つの試みに力を注ぐ必要に迫られている。資料館の機能は、これとも密接にかかわってくる。
要素の一つは、価値観や帰属意識の多様化によって、国籍の選択を含む自己実現の方途を多様化させ、流動性を強めている同胞社会の在り様そのものだ。もう一つは、韓日併合100年の2010年に向け、歴史認識摩擦がさらに深刻化する可能性である。そして試みとは、交錯し合う二つの要素に能動的に対処すべく、在日同胞史を自ら整理し、そこから導き出される歴史観を柱として、自意識を再構築することである。
併合100年を俎上に、近代の韓日関係史は総ざらいされよう。併合条約は有効だったのか、当初から無効だったのか、植民地支配は何をもたらし、その後の韓日関係をどう規定してきたのか、政治的な思惑によるプロパガンダを含む論議を再燃させ、歴史摩擦はいつにもまして激しくなろう。
争点となる歴史認識は、在日同胞社会と私たちが拠って立つ歴史的、精神的な基盤に直接かかわってくる。
日本は現在、定住外国人に対する処遇を曖昧にしたまま、「国民保護法」などのいわゆる有事立法を相次ぎ成立させ、「愛国心」を前面に「国防意識」を高めるべく憲法を改定しようとしている。歴史の清算に正面から取り組むことなく、国家主義的な傾向を強める日本は、在日同胞社会の形成と不当で過酷な植民地支配政策との因果関係を明確に認めようとはせず、合理化する傾向をむしろ強めている。自己正当化の歴史認識を、対同胞政策の根拠としてきた日本であることを忘れてはならない。
在米日系人運動の教訓
米国は第2次大戦中、12万の日系人を内陸に強制収容した。米国議会は88年にこの過誤を認め、新法をつくって日系人に公式謝罪するとともに、1人一律2万㌦を補償させた。米国経済は不振期にあり、政府は巨大な財政赤字に苦しんでいた。バブル期にあった日本資本の米国資産買い漁りやアジア系移民への反発が強まってもいた。このような時期に「良心」を発露した米国もさることながら、中心的な活動家でさえ不可能と見ていた成果を手にした日系人の運動に注目すべきだろう。
60年代の公民権運動に影響を受け、70年から始まったこの運動の担い手は、収容所体験のある1世・2世ではなく、戦後の豊かな時代に育った3世・4世であった。彼らは、「強制収用の追体験」や収容所跡地への「巡礼の旅」などのキャンペーンを通じて日系社会の歴史をたどった。それは当然、糺(ただ)すべき歴史を風化するにまかせておいては、自らのアイデンティティーが定まらないとの思いを募らせた。
私たちと日系人とでは居住する国、ルーツとする国に対するスタンスは異なる。しかし、彼らの運動は、父祖の時代を追体験することがいかに自然な欲求であるか、自らの歴史を深く知る意味がいかに大きいか、この普遍的な真理をまざまざと見せつけた。それは一方で、現在を生きる私たちに、後世を覚醒させ続ける「歴史」を残す使命を突きつける。
同胞らしい歴史観磨き
私たちにはすでに、大切な熱く語り合うべき歴史がある。それは韓国と日本の過去・現在・未来を照らし出すものにもなった。しかし、歴史を固定させてはならない。私たちは同胞史をさらに発掘し、誇るべき先駆者の業績を再照明する必要がある。また、来場者を待つだけでなく、各地で企画展示やイベントを展開することも。資料館は時を追って内容を充実させ、存在感を高めていくに違いない。
資料館は第一に、ひたむきに前を向いて生きてきた同胞の足跡が、いまや個性豊かな歴史になったことを証明し、後世の精神的な支柱の象徴となるだろう。第二に、祖国の人々に自らの近現代史が在日抜きには論じられないことを知らしめるだろう。第三に、日本の人々には在日が共生し合うべき存在であることを認知させ、国際化を牽引する場になるだろう。第四に、在米日系人など世界のマイノリティーと連携する重要拠点となるだろう。
人である以上、どこの誰であっても背負うのが歴史である。そして、国籍や生き方は選べてもその歴史は選べない。この真理をおろそかにせず、歴史に主体的に向き合うことで、在日同胞らしい歴史観に磨きをかける道場にしたいものである。
(2005.11.16 民団新聞)