掲載日 : [2005-11-30] 照会数 : 10669
<歴史資料館開館>在日韓人歴史資料館オープン
[ 除幕式の後、開館を宣言する金宰淑・中央団長(左端)=24日 ]
[ 姜徳相・初代館長 ]
同胞の貴重な歩みくっきり
苦闘と躍進の証し 生活用品や映像・書籍…
在日韓人歴史資料館(The History Museum of J‐Koreans)が24日、韓国中央会館別館にオープンした。約540平方㍍の主要スペースには、解放前後の在日同胞の生活を彷彿(ほうふつ)とさせるバラック住居やどぶろく醸造用のかめなどの貴重な生活用品のほか、1世の渡航史をたどる年表やパネル写真、在日関連の書籍などが展示してある。一般公開に先立つ23日には第1回理事会(金宰淑理事長)が開かれ、初代館長に滋賀県立大学の姜徳相名誉教授を任命したほか、関係者らによるオープニングセレモニーが行われた。
初代館長に姜徳相氏
オープニングセレモニーには、「資料館」の調査委員や開設委員など関係者200余人が集まった。
セレモニーの前に行われた記念講演で、韓国・漢陽大学の金容雲名誉教授(韓日文化交流会議委員長)は「人間の最後の拠り所は家族であり、在日の拠り所は在日しかなかった。共同体としての在日が、在日の象徴としてこの資料館を末永く受け継いでほしい」と求めた。さらに、元在日同胞として「物は見る人や時代によって価値が変わる」と述べた上で、小学生時代にチマチョゴリで運動会に現れた母親を忌避した過去を思い起こしながら、「今となっては(自ら差別した)あのチョゴリこそ、資料館に保存してほしい」と絶句した。
「資料館」の2階テラスに場所を移して行われたセレモニーで金宰淑団長は、「在日を厄介者扱いする時代もあった。不幸な歴史を乗り越え、これからは韓日が歴史を正しく理解し合い、手を携えて友好交流を切り開いていこう。架け橋の在日にはその役割がある」と力強く宣言した。
羅鍾一駐日大使は「厳しい苦難の道でありながら、在日同胞が民族の生活力と生命力でたくましく生きてきた歴史を雄弁に物語っている。展示資料をさらに充実してほしい」と期待を寄せ、日韓親善協会中央会の越智通雄理事長も「韓日友情年の年に、民団が互いの歴史をきちんと振り返るすばらしい事業を実らせた」と称賛した。
続く除幕式で関係者がロープを引くと、そこに現れたのは在日韓人歴史資料館の看板と1930年代に大阪・猪飼野で見られた朝鮮市場。コムシンや魚が積み上げられ、当時をしのばせている。テラスには韓国・公州民俗博物館から寄贈されたキムチのかめのほか、1世の故郷を象徴する縦約3㍍、横約18㍍の農村風景壁画や70年の大阪万博時に韓国館に展示された慶州の「エミレの鐘」のレプリカも目を引く。
「資料館」2階には、解放前の資料として日本への渡航証明書や朝鮮銀行券、外国人登録証の前身となる協和会手帳などがあり、植民地時代の資料としては「創氏改名」の強要で本名が消された通信簿や関東大震災時の「朝鮮人虐殺の図」のレプリカなどがある。「資料館」3階には、在日関連と韓国関連の書籍が約3000冊、VTRが約250本展示してある。
姜徳相館長は「資料館を開設したいという話があったのが3年前。暗中模索の状態から駆け回って資料を集めた。韓国やサハリンからも反応があった。数はきわめて不十分だが、開館を機にさらに資料が寄せられることを期待している。日本人や韓国人に見えにくい在日の存在を知らしめる意義は大きく、初心を忘れず、充実した内容にすべく努力したい」と抱負を語った。
24日からの一般公開には、神奈川の大学教員や愛知の中学校で社会科を教えている先生が訪れ、「学生を連れてまた来たい」「修学旅行で訪れることも考えてみたい」と、好印象をもった様子。「韓国文化に触れる」セミナー企画の構想があるというカルチャーセンターの女性職員は、「在日のことについても紹介することを検討したい」と語った。
多文化共生に資する道
《経過》在日韓人歴史資料館は「在日100年」となる05年のオープンをめざし、03年3月26日に開かれた民団の第56回定期中央委員会で開設が決まった。100年におよぶ在日の足跡を資料として保存し、歴史教育と多文化共生に資することで、次世代の精神的支柱にとの思いが込められた。
同年7月には資料収集のための調査委員会(姜徳相委員長)を設置し、11月には開設推進委員会(会長・金宰淑中央団長)の発足を記者会見を通じて内外に明らかにした。以来、2年余りの間に約3300冊の図書をはじめ、約500点の写真、約480点の生活用具などが全国から寄贈された。現在、韓国中央会館別館に入っている韓国文化院が移転すれば、さらに展示スペースを拡張する予定だ。
(2005.11.30 民団新聞)