掲載日 : [2005-12-07] 照会数 : 6099
劇団・青年劇場の「銃口」 心を通わせた韓国公演
[ 学童たちに戦時下の苦しい生活をそのまま綴らせた北森竜太の指導は当局ににらまれた ]
三浦綾子原作
非戦と和解の道程
演劇交流 確かな手応え
『氷点』や『塩狩峠』などの代表作でお馴染みの故三浦綾子の原作を劇団・青年劇場が舞台化し、2002年東京で初演した「銃口−教師・北森竜太の青春」が、このほど韓国14カ所での公演(10月13日〜11月18日)を終え、1日に東京で報告会が開かれた。「日韓友情年」記念事業に選定されたこの作品は、韓国芸術文化団体総連合会の招きで初の韓国公演が実現した。韓国内での評判は高く、「戦争の痛みや平和の意味を考えた」という声が多く寄せられた。作家の故郷であり、作品の舞台ともなった北海道での公演(5日〜15日)に続き、18日からの東京公演でフィナーレを飾る。
「軍国少女から軍国小学校教師になった」と戦後、告白した三浦綾子は、かつての自分に深い憤りと懺悔を覚え、教育への限りない理想と情熱を託して執筆、これが遺作となった。
初めての韓国公演の準備が進むなか、独島問題や教科書問題などによって、韓日関係に暗雲が立ち込めた。主人公の北森竜太を演じる船津基は、公演前に「卵をぶつけられるのではないか」と心配していたほどだ。
10月10日に訪韓。13日の初舞台を無事に終えたと思った直後の17日に小泉首相が靖国神社参拝を強行、いやが上にも緊張が走った。
しかし、心配は杞憂に終わった。日本語の台詞を舞台そでのハングル字幕で補うという難点を見事に乗り越え、舞台と客席が一体化する熱い反応が各地で見られた。「とにかくエネルギッシュの一言」と関係者は口をそろえる。
公演後のアンケートには「戦争を起こした国の国民が持っていた苦痛もわかった。戦争の痛みはともに感じるもの。戦争がないことを望む」「日本の良心のために努力する皆さんが、韓国の心を動かすことを信じている」など、非戦と和解のメッセージが届けられた。
マスコミも慶南道民日報、ハンギョレ新聞などが大々的に取り上げ、主役の船津基が公演後のあいさつで「この作品が韓国と日本をつなぐ友情の架け橋になることを願う」と呼びかけたことに、「成功を祈る」とエールを送った。
一方、「過去に日本が犯した罪を韓国人、中国人にお詫びしたい」と生前語っていたという故三浦綾子に代わり、劇団の招きで初めて訪韓した夫の三浦光世さん(三浦綾子記念文学館館長)は10月19日、ソウルの永楽教会での講演で、「日本は韓国に申し訳ないことをした。お詫びする」と謝罪した。韓国でも故人の作品は人気があり、会場には三浦ファンなど約400人がつめかけた。光世さんは20日のソウル公演の成功に目を細めていたという。
劇団・青年劇場の面々は「旅芸人」よろしく、40日を超えるハードスケジュールを精力的にこなした。竜太の恋人役を演じた重野恵は、公演後の交流会で、現地の人が「日本語の歌を知っている」と歌ったのが日本の軍歌だったことにショックを受けながらも、歴史を風化させないことの重要性を改めて思った。
竜太の恩師役を演じた島田静仁劇団副代表は、「人と人との心が通じるのが最大の喜び」と語り、演劇を通じた民間交流の確かな手応えを感じとった。製作担当の大屋寿朗さんは「韓国で得たエネルギーを北海道、東京公演に生かしたい」と締めくくった。
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あらすじ
軍国下の教師の姿
1937年、北海道の師範学校を卒業した北森竜太は、炭鉱町・幌志内の小学校に新任教師として赴任した。「良心の尊さ」「人間の平等」を教えてくれた恩師・坂部久哉を理想の教師と仰ぎ、希望と情熱に燃えた出発だった。生きる希望を教育に求めた竜太だったが、時代は軍国主義へと大きく傾き、戦争へと突っ走る。北森は生活綴り方教育を実践していたが、「治安維持法違反」によって弾圧を受ける。
召集令状によって徴兵された北森は、朝鮮と中国の国境地帯でパルチザンに捕まり殺されかかる。しかし、そのなかに徴用された日本の工事現場から脱走し、北森の父に匿われて故国に戻った朝鮮青年がいた。父親に恩義を感じていた朝鮮青年は北森を救出した。
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《今後の上演日程》
北海道・東京で今月上演
〈北海道公演〉11日14時=苫小牧市民会館(℡0155・47・6340)▽12日18時半=まみなーる岩見沢市民会館(℡0126・25・0856)▽13日18時半=旭川市公会堂(℡0166・25・8575)▽15日18時半=函館市芸術ホール(℡03・3352・6922)
〈東京公演〉18日14時、19日18時半、20日14時=東京芸術劇場中ホール。
チケットは一般4935円、学生および20歳以下は2625円。当日券は各315円増し。
申し込みは青年劇場チケットサービス(℡03・3352・7200)。
(2005.12.7 民団新聞)