掲載日 : [2005-12-14] 照会数 : 6649
<コラム・布帳馬車>私にできる何かを
都会の風は、私に優しくはない。強く、激しく、私を根こそぎ吹き飛ばすようだ。
数年ぶりに戻ってきた東京は相変わらずで、一歩外に出れば人が溢れていて、それが逆に、私の中に孤独感を募らせる。
立ち並ぶ街路樹に、かえって窮屈さを覚えてみたりもする。しかし、思い切り呼吸ができなくとも、木々は逞しく育っている。なんだか最近読んだ「夜を賭けて」に出てきた、在日の主人公たちの逞しさを感じさせる。
こんな思いに駆られてしまうあたり、やっぱり少し、都会の風にあてられているのかもしれない。
最愛の父が他界して、早や2年。身近な人の『死』というものに直面するとどうしても考える、『生』の意味。生まれて来たわけ、生きていく理由、私が『在日韓国人』である、意味。この街で私に出来ることには、一体何があるのだろうか。
溢れる人の波に溺れてしまいそうな、埋もれてしまいそうな恐怖に襲われても、それでも、見上げれば今日も空は青い。
生まれ育ったあの街も、韓国も、みんな晴れていればいい。そうだったらいい。そんな事を、ふと、思った。
「国際的な人間になれ」と、父は常々私に言った。「お前は韓国も、日本も、両方を持っているのだから、偏ることなく両方を生かせ」と。父が願った祖国統一と、在日同胞たちの幸福。
私にできる何かを、見つけたい。それは偶然、目の前に現れるものでないとすれば、溢れる人の波にもまれるほかない。(I)
(2005.12.14 民団新聞)