掲載日 : [2005-12-14] 照会数 : 8732
<能楽>観世流の韓国公演を機に検証≪上≫
[ 能楽「翁」=能面「鑑賞と打ち方」(淡交社)から ]
受け継がれた韓半島の芸能
源は猿楽や雅楽…室町期、「幽玄」表現へ昇華
韓国では珍しい本格的能楽「翁」が10月15日、金海市で行われた伽 国際文化祭で観世流の演者により上演された。公演実現に尽力した関係者の一人・松岡心平東京大学教授が、その様子を11月中旬の朝日新聞文化芸能面(首都圏では11日付夕刊)で報告した。記事の見出しに「能『翁』韓国に〞里帰り〟」とあり、日本独特の伝統芸能と信じられている能楽が「韓国に里帰り」と記されたことに、唐突な印象を受けた読者も多く、本紙編集部にも問い合わせがあった。そこで能楽の発祥と「翁」という演目それぞれが、韓半島渡来の芸能と深いかかわりがあることを検証した。
渡来した各種の楽舞
昨年6月に急逝した狂言師の野村万之丞氏は生前、「能や狂言の母親は猿楽(さるがく)、父親は伎楽(ぎがく)、雅楽(ががく)、田楽(でんがく)、傀儡(くぐつ)などである」と述べ、「能や狂言は朝鮮半島からユーラシア大陸に広がる芸能の流れの集積である」とも指摘していた。
この分析を踏まえつつ、改めて検証してみると、能・狂言の母親とされる猿楽とは、室町時代初期に観阿弥・世阿弥の父子が能楽を集大成する以前に、各地の寺社などで行われていた、五穀豊饒などを願う散楽とも呼ばれていた素朴で滑稽な楽舞のことである。有力寺社の演者は世襲でその技能を伝え、それらの一部が能楽の諸流につながっている。
一方、能・狂言の父親は猿楽よりも古くから伝えられていた伝統的諸芸、伎楽、雅楽、田楽、傀儡などであるとしているが、これらは全て、明確に韓半島からの渡来芸能そのものだ。
新羅に始まった雅楽
『日本書紀』の推古天皇20(612)年条に、百済の味摩之(みまし)という人物が「伎楽の舞」を日本に初めて伝えたとの記載がある。伎楽そのものは現在に伝わっていないが、滑稽な身振りの仮面音楽劇とされている。法隆寺には飛鳥時代の作とされる「伎楽面・金剛」が伝えられている。この面を味摩之が直接持参したかどうかは不明でも、百済で作られた可能性が高い。
雅楽とは、韓半島だけでなく中国、渤海、ベトナムなどから伝わり宮中や有力寺社などで受け継がれている伝統的楽舞の総称だが、最も古くは新羅から伝わった。『日本書紀』によると、453年、允恭(いんぎょう)天皇の葬礼に際して新羅から種々の楽人が渡来したとあり、それが日本での雅楽演奏の始まりであるとされている。
次いで欽明天皇15(554)年には、百済から楽士4人が、五経博士、僧、易博士、暦博士、医博士、採薬師らとともに、交替のために来倭したと記されている。
田楽とは猿楽の形式化以前に、田植えなど農作業の合間に農民たちが主に屋外で行っていた歌舞音曲のことで、韓半島からの水田稲作の渡来とともにやってきた五穀豊饒などを願う素朴な楽舞のことである。三国志東夷伝三韓の条に、現地の農民たちが豊作を祈って歌舞音曲を盛んに行ったと記されている。
傀儡(くぐつ)とは人形劇のことで、韓半島では古くから盛んであり、日本でも飛鳥時代や奈良時代の傀儡人形が出土している。新羅からの渡来氏族である秦氏と関係が深い大分県の宇佐神宮には、傀儡人形が舞う祭礼が今も伝わっている。
能・狂言の父親たちはみな、明確に韓半島渡来の遺伝子を持っている。母親とされた猿楽はどうだろうか。
猿楽が広く行われていたのは、平安から鎌倉時代だが、能楽の祖とされる世阿弥が著した『風姿花伝』に、猿楽(世阿弥は申楽と記述した)は「推古天皇の御世、聖徳太子が秦河勝に命じて創作させたものである」と書かれている。
秦氏は新羅(新羅に併合された伽耶諸国を含む)からの渡来氏族で、5世紀以降、各地の河川灌漑や田畑の開発、鉱物採掘、養蚕、酒造りなどの殖産事業を担っていた実業家一族でもあった。その富の巨大な蓄積ぶりは、秦氏の根拠地である京都・太秦(うずまさ)の「太」の字が物語っている。
太秦にある広隆寺の弥勒菩薩は、日本の国宝第1号としても有名だが、それは秦氏の棟梁であった秦河勝が聖徳太子のために造ったと考えられている。秦河勝が猿楽の祖でもあるならば、能・狂言の母親の遺伝子も文句なく韓半島渡来ということになる。
楽人にも渡来遺伝子
『風姿花伝』には、「時代は下り、かの河勝の遠孫たちがこの芸能(猿楽)を継承し…」とあり、始祖に限らず、子孫たちも楽人としてその遺伝子を受け継いできた。
同書では、猿楽を継承する伝統的家柄の中に大和4座を挙げている。その中の円満井座(現在の金春流)は河勝の子孫・秦氏安の直系子孫で、聖徳太子から伝わる家宝を保持しているとも書かれている。
金春流の祖とされるのが金春禅竹で、彼は世阿弥の娘婿となり、世阿弥とともに猿楽を能楽へと昇華させた最大の功労者だ。
今年は禅竹の生誕600年でもあり、秦氏直系子孫が伝えてきた能楽が、まさに節目の年に韓国に「里帰り」したということになる。一方、世阿弥とその父・観阿弥は現在の観世流の始祖だが、伊賀の渡来系氏族・服部家の出身とされているにもかかわらず、世阿弥自身は秦氏子孫と自称し秦元清と名乗っている。
(2005.12.14 民団新聞)