掲載日 : [2006-01-18] 照会数 : 7488
金敬得さん大きな死 同胞の人権向上に献身
[ がんのため56歳で逝った金敬得さん ]
韓国籍貫き弁護士に…第1号
77年に韓国籍のまま司法修習生として採用される道を切り開き、79年から外国籍の弁護士第1号として、26年間にわたり指紋押捺拒否闘争や戦後補償、東京都管理職の国籍条項訴訟など、民族的少数者の権利尊重に生涯を捧げた在日2世の金敬得(キム・キョンドク)さん=東京都世田谷区=が昨年12月28日午後9時17分、胃がんのため自宅で死去した。56歳だった。2月25日に東京・御茶ノ水の全電通ホールで「偲ぶ会」が開かれる。
1949年和歌山市内で6人兄弟の二男として生まれた。家は貧しく、周囲のいわれなき韓国人(朝鮮人)蔑視にさらされた。早稲田大学卒業まで出自を隠し、「金沢」の通称名で生きる。牛乳配達などのアルバイトをしながら法学部を卒業。大学時代のボクシング体験からスポーツ記者を志すも、日本の大手新聞社からことごとくはねつけられた。このときの被差別体験がバネになり「民族差別の典型」と考えた司法修習生を志す。司法試験は76年秋、好成績で合格。最高裁は当然のように帰化を勧めたが「帰化すれば、弁護士たらんとした立脚点そのものを失う」と拒否し、韓国籍のまま採用されるよう最後まで訴え続けた。自由人権協会など多くの支援を受けて翌77年3月、韓国籍のまま修習生に採用された。
81年には韓国に留学、民族として生きられる内実づくりにも励んだ。民団では「在日同胞21世紀委員会」の代表などを歴任し、同胞保護者会の結成にも尽くした。94年から民団の直選中央委員を4期、97年から中央本部の顧問弁護士を務めていた。
(2006.1.18 民団新聞)