掲載日 : [2006-01-25] 照会数 : 21160
30万部も売れる日本の病理 マンガ『嫌韓流』
「便所の落書き」同然の中身
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《乱暴な本音》に快感
匿名を隠れミノに…野放しのインターネット
小泉純一郎氏が首相になってから最初の靖国神社参拝が韓国や中国などの猛反発を受けていた頃、東京でたまたま乗ったタクシーの運転手がいきなり声をかけてきた。
「お客さん、最近の日本は韓国や中国にやたら媚びていると思いませんか。小泉首相の行為は日本人の気骨を示していて、俺は支持するね。お客さんもそう思いませんか」と威勢のいいものだった。
その意見に同意しかねたので黙っていると、運転手はさらに力を入れて、「一部の『自虐史観』のキャスターや文化人とか朝日新聞なんかが、韓国や中国に媚を売って、奴らは日本人のプライドもないのかねえ」とたたみかけてきた。
その運転手は産経新聞や雑誌『諸君』のよき愛読者なんだろうなと思いながら、それも聞き流していたが、彼の意見の内容より『媚びる』という日本語の使い方が気になって、少し間をおいてから声をかけた。
「運転手さん。『媚びる』っていう言葉の使い方が間違っているよ。本当の意味は、立場の弱い者や力のない者が権力者や腕力の強い者に擦り寄って取り入ることをいうんだ。だから昔からの発想で女ヘンが着いている。運転手さんは日本が韓国や中国より力がないと思っているの?それこそ『自虐史観』じゃないのかな」と問い返した。
思わぬ反問にその運転手は、一瞬とまどっていたが、この客は自分とは意見が異なるらしいと察したらしく、その後はずっと黙っていた。
最近、このような《乱暴な本音》を声高に漏らす人が目立つようになった。インターネット掲示板の「2チャンネル」には、若者からと思われる「嫌韓」の書き込みも多い。
政治家のオフレコ発言や、タクシーの中のような密室の中の会話、そしてインターネットの書き込みには、公的な場所や人前でははばかれるような内容の《乱暴な本音》が幅をきかせる。
特にインターネットの書き込みは、「トイレの落書き」とまで言われている。トイレという場所は人間から出てくる《物理的汚物》の排泄場所だが、密室という匿名性をいいことに、ついでに《精神的汚物》である落書きまで排泄する輩がいる。ただし、トイレの落書きは、ほとんど人目につくことはないが、同じ匿名性であっても、インターネットの書き込みは衆人の目にさらされることを目的としている。
野放し状態のインターネットで《人気があった》とされる「嫌韓」落書きを単行本にまとめたのが『マンガ・嫌韓流』(山野車輪著)である。
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隣人が《うざい》とは
差別意識また噴出…政治家発言も作用
もっとも本物のトイレの落書きでは、在日や韓国人、朝鮮人、中国人などをターゲットにした差別意識丸出しの落書きは、むしろ昔のほうがずっと多く過激だった。在日などへの民族差別は今よりはるかに目立っていたし、差別意識むき出しの《本音》がトイレの個室の壁になぐり書きされている光景をよく見かけたものだ。
インターネット「嫌韓」の書き込みとは、ただその表現方法が機械化しただけにすぎないのかもしれない。それにしても、「嫌韓」書き込みが今も多いということは、在日などへの差別意識は、姿を変えつつ相変わらずであるということの証左でもあるだろう。
映画「パッチギ」で描かれているように、昔の若者たちは街頭で「民族意識」むき出しで渡り合っていたが、今は高校生同士の肉体的衝突などほとんど見かけなくなった。その「エネルギー」がインターネットで発散されているだけならば、『マンガ嫌韓流』などここで敢えて取り上げるほどのことはないかもしれない。
しかし、単行本の売り上げが30万部を超えているということは無視できない事態でもある。「韓流ブーム」がまぶしく輝いているその足元で、ハレーションのように一部の日本の若者に「嫌韓」が社会現象となってくすぶっているとすれば心配である。そこには、かつてのあからさまな差別が顕在していた時代とは別の、現代日本特有の新たな病理が潜伏しているのかもしれないからだ。
病理を解くキーワードとは、おそらく「うざったい、うざい」という若者言葉と「自信喪失」という時代感覚の二語であろう。
古今東西、国境を接している隣人(隣国)とはうざい存在である。隣人だからよく似ているが、似ていることがうざったくもあり、わずかな差異が逆に気になってうざったくなったりする。
国境を接していれば領土紛争は必ずあるし、歴史的にも長く付き合っていれば、お互いの影響力の影がわずらわしくなったり、逆に先進文化は自分が本家だと言いたくなる。さらに東アジア特有の儒教価値観の共有と各国の微妙な差異がかえってうざったさに拍車をかけることもある。うざったさはお互い様なのだ。
『マンガ・嫌韓流』では、サッカー・ワールドカップでの韓国チームの試合や応援振りにいちゃもんをつけたり、韓国マスコミへの非難のほか、「戦後補償は終わっていて個人補償はいらない」、「強制連行はなかった」、「日本文化を盗む韓国」、「ハングルは日本統治時代に普及した」、「外国人参政権は必要ない」、「韓国併合ではいいこともあった」、そして竹島(独島)問題など項目を挙げて、それぞれ韓国側の見解を一方的に排斥する。
ご丁寧に登場人物には在日もいて、差別的にカリカチュアされたキャラクター像を通してその存在を否定的に描き、在日の主張を根拠のないものとイメージ付けようとしている。
この本で扱われているテーマは、全て隣国で普通に起こる行き違いに過ぎない。こんなことは昔から分かり切ったことで、世界中の知恵ある《隣国》はその微調整を日常的に行ってきた。だから隣国同士、お互いの見解や立場を尊重し、相手の身になってみる。その上で自らが主張すべき点はきちんと主張する。その原則があれば友好関係は継続できるのだ。
ところがこの本では、日本側のうざったさばかり強調して、韓国側のうざったさの意志表明に聞く耳を持たない。だから「植民地でもいいことはあった」とか「強制連行はなかった」など、日清戦争以降の近代東アジアの歴史認識に対する無知をさらけ出し、自己中心的な虚言を述べまくるだけの代物となっている。
まさに「トイレの落書き」にふさわしい内容ではある。表紙に、どの出版社も刊行をためらった『問題作』とあるが、当たり前だ。良識ある出版社は「トイレの落書き」など出版しない。
ただし、この本が大部数売れている点には一応留意する必要がある。売れている背景には、一部の若者たちにある、近隣諸国は日本に対していつまでも戦争責任の謝罪を要求して「うざい」という「素朴」な「誤解」があるからである。中高年の進歩的日本人に対しても反感が強い。
そういう意識がつくられた背景には、第二次大戦後の日本の世論や進歩的文化人などが、日本が近代化の過程で近隣諸国にかけた迷惑に対する「贖罪意識」を強調しすぎた、相手の立場に立ち過ぎたという「誤解」への反動がある。隣国同士、相手の立場を尊重することは当たり前のことで非難されることではない。
また、日本がポツダム宣言を受諾して戦争責任を確認している限り、戦争や侵略への「贖罪意識」は当然のことである。むしろ、戦後ほぼ一貫して政権を担当してきた歴代の自民党政権に「贖罪意識」がまるでなく、平和憲法を尊重する気もなく、政権にある人が隣国の立場を無視して神経を逆なでする言動を続けていることが、隣国にずっと不信感を抱かせてきた真の原因である。
正しい「歴史意識」がなく「自虐史観」を持っていたのは、実は日本の政権政党の側だったのだ。「自虐史観」などと不当なレッテルを貼られている勢力は、日本での民族差別解消にいくばくかは貢献してきたが、今も民族差別意識にまみれている人には、それこそ「うざったい」のかもしれない。
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《自信喪失》の日本人
貧すれば鈍す状況…「アジアの盟主」はや遠く
日本の歴代政権政党が一貫して隣人(隣国)を軽視していたのは、戦後のある時期までは、日本にとってそれでもよかったという背景もあった。ところが、80年代半ばあたりを境として、日本は政治・経済的に隣人を無視するわけにいかなくなった。
隣人たちは経済力をつけ始め、国際的発言力も増した。日本との貿易や文化的・人的な交流も激増し、明治維新以降の日本近代化のスローガンであった「脱亜入欧」は実質的に終焉した。つまり、東アジアの中で日本の相対的地位は低下することとなった。
「アジアの盟主」と気張っていた人々にとってその確信が揺らぎ、それは自信喪失へと向かうことになった。冒頭のタクシー運転手のように、未だ総合的な国力では日本に及ばない韓中に対して「媚びる」などと逆転した意識を持つことになったのである。
自信を失った人は、えてしてそのストレスのはけ口を他者や隣人に向けることがある。「金持ちケンカせず」の反対だ。まして、歴史を「誤解」したままの「嫌韓」日本人若者たちは、エネルギーの発散場所として、自分の姿が見えない匿名性のインターネットの書き込みにターゲットを絞った。そこでは《乱暴な本音》が遠慮なく吐露できるからだ。
『マンガ・嫌韓流』の中に、韓国人がおちいりやすい悪弊として「火病」があるという記述がある。自分の責任を他人に押し付けたり、自分の責任を棚上げにして必要以上に他人を非難したり、しかもその非難は感情的に激高し苛烈であり、韓国人によく見られる「病気」だという。
よしんば韓国人にその「持病」があるとしても、正しい歴史認識で診察すれば、それは侵略勢力との戦いに明け暮れた韓国特有の歴史過程から培われたものだと冷静に診断できるだろう。
ところが、著者は「火病患者」の韓国人に向かって、同じ症状で反発している。「おいおい著者の山野さん、あんたにも『火病』が伝染しちゃったよ」というのが読後の唯一の感想だ。
昔の日本には「落書(らくしょ)」というしゃれた掲示板があった。今の嫌韓若者たちは、これ以上の知能低下を防ぐためにも、落書に学んだらどうだろう。
(フリーライター 結城 重之)
(2006.1.25 民団新聞)