掲載日 : [2006-03-29] 照会数 : 11360
57歳で学士 晴れの総代…朴淑子さん
[ 4年間を通し学業成績最優秀で卒業した朴淑子さん(中央) ]
神奈川大学を卒業 夜間中学から10年がかり
【神奈川】神奈川大学(山火正則学長)=横浜市神奈川区=の2部経済学部経済学科から晴れて57歳の学士が誕生した。夜間中学校から定時制高校へと大幅に遠回りしたため、大学卒業までには10年がかり。努力のかいあって25日、パシフィコ横浜で行われた05年度卒業式・学位授与式では同学部114人の総代を務めた。
この卒業生は市内中区在住の在日2世、朴淑子さん(57)。朝鮮朝時代に高位の宮廷女官が身につけていたという金糸銀糸をまぶした特注の民族衣装「タンイ」をまとって山本通経済学部長から卒業証書と学業成績最優秀賞を受け取った。
朴さんは早くも3年次には卒業に必要な124単位を取得し、「学長賞」を受賞した。最終的には182単位まで履修し、4年間を通して学業成績「最優秀」との認定を受けた。
大学では最前列で講義を受け、真っ先に質問する模範的な学生だった。在学中は「若い学生より3倍努力した」という。
朴さんが大学入学を目指したのは69歳にして横浜市南区の市立平楽中の夜間学級に入学した母、趙尚連さん(85)の影響が大きかった。3年余りイキイキとした表情で学生生活をエンジョイする姿を見たとき、朴さんもあらためて大学進学を志すようになった。
だが、朴さんは小学校から高校まで北区十条の民族学校出身。学校時代に学んだ外国語は英語でなく、ロシア語だった。大学入学に必要な高校の卒業資格を得るには英語の習得が欠かせないと、母親が通った夜間の平楽中学に入学しなおしたのは47歳のとき。同夜間中によれば、親子2代にわたって学んだのはかつて例がないという。
夜間中学卒業後は定時制高校に進学した。
数学と理科については民族学校当時の学習経験が生きた。苦労したのは英語と日本史、「国語」だった。朴さんは人一倍の集中力を発揮してこれら苦手教科を克服、1年生の課程を終えて4年生に飛び石進級した際の成績表はオール5だった。朴さんは「ちょっと遠回りしたけれどいい経験になった」と、振り返った。
大東文化大学から「商品学」の講師として神奈川大学に赴き、朴さんを指導してきた熊沢孝教授は、「自分の中のフィルターを通して全身で吸収しようとする姿勢がほかの学生よりも際だっていた。それが深い理解につながっている。教えがいのある印象的な生徒だった」と話している。
将来の希望は高齢者のためのボランティア活動だという。ただし、因縁の英語だけはこれからも勉強を続け、検定合格を目ざしている。
(2006.3.29 民団新聞)