掲載日 : [2006-06-21] 照会数 : 11505
<寄稿>新しい命歌に吹き込む 戸田志香
[ 呉鉉明さん(後列左から4人目)、戸田志香さん(同列左から5人目)と受講生ら ]
「大阪発信韓国の歌プロジェクト」企画
韓国歌曲受講生が音楽会
人育てる土壌作り…呉鉉明さん指導で拍車
10数人が勢揃いしたこの写真は5月26日、大阪で開かれた客席数80という小さな空間での音楽会「私が歌う (歌)」の一枚だ。
後列中央に立つ白髪の男性は韓国歌曲の第一人者、バス・バリトン歌手の呉鉉明さん。この音楽会には呉さんの韓国歌曲レッスン受講生が出演した。呉さんを招いてのレッスンはひょんなことから実現した。
呉さんは昨年、一昨年と2年続けて大阪で歌っている。生野区内の在日男性十数人のサナイ合唱団は一昨年、呉さんと共演した。メンバーの崔太成さんは呉さんのレッスンを受けたいと何回ももらした。またピアノの柳水香さんは新たな気持で韓国音楽の勉強をしたいとソウルに住み始めた。その二人との出会いが私を動かした。
私は1984年度韓国政府招聘留学生として漢陽音楽大学大学院で呉鉉明教授(当時)のもと、韓国歌曲を研究した。帰国後は東京室内歌劇場の「韓国の心を歌う」シリーズにたずさわるなど、韓国の歌の普及に努めた。
歌にはドラマがある。歌が生まれる背景はもちろん大きなドラマだが、その歌を聴いた名も無い人たちの魂が宿っている歌に、今の命を吹き込みたいといつからか思うようになった。
2年前、80歳を迎える呉さんを招き、地元習志野の演奏家仲間と韓国歌曲の音楽会を開いた。5〜6年間歌うことから離れていた私は初心者の気持で韓国の歌に向かった。そして私の町で聞く呉さんの韓国の歌に無数の人たちの息づかいを感じた。韓国の歌をもっと聴いてもらいたい、知ってもらいたいという思いが体からこみ上げてくるのがわかった。
その思いが前述した崔さん、柳さんとの出会いと重なり、「大阪発信韓国の歌プロジェクト〜韓国の風に誘われて」を立ち上げた。志を同じくする人との演奏活動。韓国の歌を歌う人を育てる土壌作りを軸にした。
私の考えに共鳴する大阪在住のピアニスト高祥子さんと柳さん、石川県在住のソプラノ歌手韓錦玉さん、そして私の4人は5月に大阪、京都で3回、演奏の場を持てた。 土壌作りに登場した呉さんのレッスンには大阪、兵庫、京都、東京から12人の受講生が集まった。「歌は詩から生まれた。ことばが何よりも大切」と一言ひと言を圧倒的な気合いで説く呉さんに、受講生たちは緊張感をみなぎらせた。
3回のレッスン後に開かれた音楽会「私が歌う (歌)」では受講生の歌に新しい命が脈打ち、「数回のレッスンでこれほど変わるとは…」と呉さんを唸らせた。会場にいた誰もの心を揺さぶったのは歌の持つドラマだった。
韓国の歌の風が大阪から吹き始めた。今年の冬にはまた呉さんのレッスンを再開する予定だ。
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呉鉉明さんのレッスンを受講したい、韓国の歌を聴きたい方は、戸田志香(℡047・472・9706)まで。
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プロフィール
戸田 志香(とだ ゆきこ) 国立音楽大学声楽科卒業。二期会合唱団団員を経て渡韓。1984年度韓国政府招聘留学生として漢陽音楽大学の呉鉉明教授のもと、韓国歌曲を研究。87年帰国。著書「わたしは歌の旅人 ノレ ナグネ」(梨の木舎刊)
(2006.6.21 民団新聞)