掲載日 : [2006-08-15] 照会数 : 10027
<鼎談>等身大の在日史発信 歴史資料館を担う
鼎談参加者(敬称略)
姜徳相(在日韓人歴史資料館館長)
宋富子(NPO法人高麗博物館館長)
河炳俊(近江渡来人倶楽部代表)
日本社会の一部に根強く残る歪んだ歴史認識を正すため、地域から正確で客観的な在日史を発信していこうと、在日同胞を担い手とする歴史資料館が新たに滋賀県にもオープンするなど、全国へと静かな広がりを見せつつある。いまなぜ歴史資料館なのか、その現状と課題について3人の担い手に語ってもらった。司会 朴光春・本紙編集委員
私たちの存在証明
多様性の尊重求めて
子弟には希望と夢を
−−いま、なぜ歴史資料館なのか。
河 近江渡来人倶楽部の目的は2つあります。一つは日本社会に歴史認識をきちっとただしてほしいということ。民族的偏見や差別が解消されないのは歴史認識があいまいであるためです。だからこそ、正確で客観的な歴史を普及させたかったのです。
宋 もう遅すぎるくらいといったら言いすぎでしょうか。せめて1世が元気なうちに2世と力を合わせ建てるべきだったと気づいてほしかった。
姜 確かに少し遅かったかもしれない。資料館を始めるにあたって、私たちは「物」から始めようと考えた。1世が健在なうちにせめて10年、15年早く取り組んでいたらもう少し楽に集められたことでしょう。
日本史の歪みをただす鏡の役割をしているのが在日であり、韓国の近現代史、日韓関係史であることはいろんな面から証明できる。日本人といえばわれわれの歴史に無関心で、米国やヨーロッパばかり見てきた。その偏向を正せるのはわれわれだけです。われわれがやらないと在日、あるいは日韓の歴史というものは正しく継承されない。
河 解放後、在日が日本社会で生活者団体としての性格を拡充させていかなければならなかったのに、一部が政治集団化してしまったということ。そこに大きな間違いがあったのではないか。そのため、権益擁護や民生安定などの本来やるべきことが完遂できなかった。
宋 子どもたちの人格形成は家庭教育、学校教育でつくられる。日本学校の歪曲された歴史では誇りは持てないし差別に打ち勝てない。劣等感のみ植え込まれる。古代から近代までの歴史を知ることは自分を知ること。知れば未来に希望と夢を持つようになる。
−−在日同胞が歴史を知るという意味はどこらへんにあるのか。
姜 自分たちの祖父母の世代の歴史をきちっと知ることが、自らの存在証明につながる。戦後の日本が在日に対してどういう政策をとってきたのか。解放後、日本がわれわれに対してやってきたことはといえば、よけいもの、邪魔者、第三国人扱いだった。
サンフランシスコ条約以降は全ての法律に外国人は除くという但し書きがついて差別される。50年代はいちばん差別がひどかった。そうした結果として金嬉老事件や小松川事件、そして日立就職差別事件が起きた。
4、5年前のこと。当時の入管局長がNHKの特別放送のなかで「あと20年も経てば在日は社会からすべて消えてなくなる」とさえ言った。しかし、この50数年の間、日本政府が在日にとってきた政策にきちっと立ち向かわず、間違いを是正しないまま、われわれ在日の状況を考えても話にならない。いったいこれまで日本が在日にとってきた政策が、ルーツの異なる外国籍者が共存できる、国際社会に通じるそういうものであったのか、なかったのか。そのことをわれわれが発信しなければならない。
河 入管局長の発言はわれわれへのアンチテーゼと受け止めるべきではないのか。だからこそわれわれは具体的行動をスタートさせました。われわれを取りまく日本社会の環境は閉鎖的で排外性も顕著、政策も内向きのものを打ち出している。そのために民族差別、偏見が助長されているという事実があるわけです。だからこそ、それを改善していくための戦略戦術を立てていかなければならない。その一つの手段として歴史館をつくりたいと思うようになったわけです。私はこの歴史館では在日コリアンのみならず日本人にも勉強してほしいと思っています。
宋 私は一貫して日本の教育を受け、いじめられて育った。劣等感の固まりだった。外国人だし差別されて当然と考えていた。31歳までは日本人以上の日本人になろうと帰化のみを考えて生きてきた。それが本当の歴史を知ることによって刺激を受け、すべての価値観が変えられた。
知った者の責任は知らせること。無関心は罪と思い、日本の着物を捨て、子どもの入学式・卒業式にはチマ・チョゴリを着るようになったんです。
河 日本社会の枠の中で長く生活し、経済活動をしていると、日本社会で評価されるには正直いうと、ほとんどの人にとって金しかないんですよ。そこのところに僕はいちばんの問題点があると思う。在日には民族的偏見や差別を受ける根拠はない。なにも、自らのルーツに対してネガティブになる必要はないんだと。ならば自分も思っていること、やりたいことをやってみようということになった。
宋 私がいちばん誇りを持ったのは日本の植民地統治に抵抗し、立ち上がった祖国の民衆の生きかたですよ。25年前初めてパコダ公園に行き、2・8や3・1独立運動の崇高な精神を忘れまいと、公園の土をそっと持って帰りました。その土はいまでも私の部屋に置いて毎日見ては励まされています。
姜 在日って日本社会から見えにくいんです。否、見えにくくされているんです。それが差別だし排外・同化なんです。それが見えるようにしないといけない。見えれば違いがわかり、差別がおかしいということもわかるしね。その違いがわからないところで隠されていて、一部権力者のいうとおりに日本人がみんな右へならえしている状況がいちばん怖い。
差別の重さにわれわれはものをいえない状況ですよ。だから、われわれの博物館、あるいは資料館というものは、われわれが見える存在だということを発信する場、資料館はそういう役割を持っている。
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じわり広がる反響
修学旅行や研修の場に
最新の研究成果共有へ
−−東京では在日韓人歴史資料館と高麗博物館の2つが修学旅行生の見学コースとして定着しつつあるようだが。
宋 この1年ものすごく増えていますね。東京の高校の教師が感動して毎年、100人、200人と来館させ、学習しています。このほか数十人単位ですが、全国から訪れています。
姜 在日韓人歴史資料館では大学がゼミの学生を引率してくる例が目立ちますね。このほか各会社の人権担当者研修、地方の同好会などですね。
河 まだオープンして間がないですが、奈良や神戸、大阪などの団体が目立ちます。このまえは京都の立命館大学から学生が30人ほど来ていました。地元の滋賀県からの見学が少ないのですが、県と市町村の教育長には見に来てくれるようお願いしているところです。教育委員会に理解してもらうことで各学校の校長、先生がたにPRしていこうと考えているところです。
−−高麗博物館と在日韓人歴史史料館の間ではうまく連携がとれているようですね。
宋 協力関係も密ですね。私は姜先生が約20年ほど前、和光大学で教鞭をとっていたころからの隠れ聴講生だったんです。姜先生はうちの博物館の歴史顧問もしていただいている。企画展のときは監修を引き受けていただき、本当に助かっています。
河 近江では古代を大切にしながら、日本人のルーツはどこか。どうして日本列島に渡って来たのか。これらを知ってもらうことからスタートさせたばかり。大和民族なんてことはありえないんだとの認識を醸成させたかった。
近現代史はこれからの課題ですが、そのときは姜先生の力を借りたいと思っています。
宋 職安通りはいまも韓流ブームで、ペ・ヨンジュンやチャン・ドンゴンファンが高麗博物館にも立ち寄ってくれる。大半は歴史を知らないので「日本人の悪口書いている。怖いわ」と拒否反応を見せるのですが、中には1年間、ボランティアとして関わるうちすっかり覚醒してツアー客を連れて来るまでになった日本人もいます。私たちスタッフは来館者に歴史を説明し、最後に年間5千円の会員になってもらうために必死です。
姜 私たち在日韓人歴史史料館は高度な情報を発信する場であり、同時に最新の研究成果を共有できる専門の学芸員を育成する場ともとらえています。この一環として定期的に開いている「土曜セミナー」は毎回、ほぼ満員の盛況です。われわれ在日同胞の歴史館なので、講師には同胞を呼びます。
−−歴史史料館をアピールしていくうえで企画展も大事だと思うが。
河 きちんとした土台をつくったうえで秋ぐらいには市民大学とイベントをスタートさせたい。古代、中世、近代と分けてどういう組み立てをしようかといま考えているところ。
姜先生がおっしゃったように、近代については思いが違うというか意識にギャップがあるから、日本人の先生では難しいかと思います。関西の同胞にお願いしたいと思っておりますが、やるからには精度の高いものをやりたいですね。
宋 高麗博物館では8・15特別展で2年続けて関東大震災朝鮮人虐殺をテーマにやったが、初公開の絵画もあり、連日満員で大きな反響を呼んだ。
姜 パネル展示のコーナーを増設するなど、常設展の充実に力を入れたい。スペースの関係でまだ展示しきれていない資料がたくさんある。これらを死蔵しておくわけにはいかない。これが当面の課題だ。なんとかオープン1周年の今年11月までには実現させたい。もちろん企画展も考えており構想もいろいろある。 河 セミナーを拡大させるお考えは。
姜 大学院以上の関心のある人たちを集めて研究会のようなものをと考えている。
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課題は資料の充実
−−資料館を点から面に広げていくためにどのような取り組みが求められているのか。
宋 最初から規模を大きくしようと思わないで自宅の空き部屋や倉庫、車庫でもいい。まず始めるのが大事。
河 もし、在日の多住地区で資料館をつくるならば、偏った民族主義を前面に出すのではなく、同胞側のネガティブな意識を取り除くというか、自浄作用が働くようなそんな施設を望みたい。そしてわれわれとともに、未来志向のネットワークを構築したいですね。
姜 さしあたり大阪、九州には必要というか、欲しいですね。地理的にも東京よりも集まりやすいでしょう。
河 歴史的経緯を考えれば、日本政府こそが金を出して資料館をつくるべきだという考えも成り立つのではないか。理想をいえば、在日と日本政府の両方が金を出してもいいと私自身は思っています。
宋 一人芝居の舞台を使って1万人の会員を募ること。年間5千万円つくれば、専従事務員、学芸員数人を雇用でき、運営組織が円滑化します。私は日本に住む者の責任として民族差別のない「平和」で、弱い者が大事にされるそんな日本の国をつくりたい。それが私の夢であり、希望です。
河 これからますます新たな外国籍者が増えていく。多様化した民族的少数者集団のなかにあって、リーダーとなる新たな在日像を確立していかないと、在日コリアンが集団のなかで見えにくい存在になってしまう。私は在日コリアングループが日本社会の閉鎖性や排外性の改善に取り組み、接着剤や潤滑油の立場を確立すれば、おのずと信頼と尊敬を獲得できると考えています。また、在日コリアンが解決できなければ、解決できる集団が出てくるのは当分望めないでしょう。
姜 われわれが黙ったからといって、日本社会がいい国になるわけでも決してありません。あなた方の標榜する民主主義は虚妄であると、われわれがきちんと言わないと。孫たちがこの国に帰化したからかまわない、ということにはならない。このことは自分の歴史研究を通して断言できることです。
いちばん大事なのは、日本の歴史教育の貧しさを補完する場となることなんです。日本の中学、高校、あるいは大学のゼミの実習の場として教育委員会が認定するほど資料が充実していけば、われわれの発信の場としては成功だろうといえます。そこまでもっていくために内容を充実させていくことが大事だと思います。
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NPO法人高麗博物館 01年11月開館。日本とコリアの交流史の理解をめざす博物館。常設展示のほか企画展も開催中。東京都新宿区大久保1‐21‐1 第2韓国広場ビル7階。 ℡03・5272・3510
在日韓人歴史資料館 光復60周年、韓日国交正常化40周年、乙巳条約100年の05年、11月に民団が韓国中央会館別館に開設した。2階に「常設」と「企画」展示室、3階には図書資料室と映像資料室。東京都港区南麻布1‐7‐32 韓国中央会館別館(受付3F) ℡03・3457・1088
渡来人歴史館 近江渡来人倶楽部の代表である河炳俊さんが私財を投じ開館した。正確で客観的な東アジアの歴史学習の場をめざす。滋賀県大津市梅林2‐4‐6 ℡077・525・3030
(2006.8.15 民団新聞)