掲載日 : [2006-09-13] 照会数 : 9726
<寄稿>浅芽野旧日本軍飛行場建設跡地 遺骨61年ぶり改葬
殿平善彦
北海道猿払村東アジア共同ワークショップ
【北海道】「遺骨問題の解決へ」全国実行委員会が7月から各地で行ってきた集会イベントを締めくくる「東アジアの平和な未来のための共同ワークショップ」(東アジア共同ワークショップ)が、8月19日から1週間、稚内から60㌔下った猿払村であった。このワークショップは浅茅野旧日本軍飛行場建設に連行され、犠牲になった韓国・朝鮮人の遺骨発掘作業を通じて、平和な東アジアを展望しようというもの。全国実行委共同代表の殿平善彦さんに報告してもらった。
全国から200人
主催団体が呼びかけたところ、日本人の学生や在日韓国・朝鮮人はもとよりドイツ人、中国人、アイヌ民族、遠くは韓国からも浅茅野建設工事で犠牲となった肉親を持つ遺族4人が駆けつけ、参加者は全体で200人を超えた。
発掘現場は宿泊会場から約20㌔ほど離れた浅茅野地区の林の中にある旧共同墓地内。遺骨が埋葬されていると推定される地点には現地先発隊が乗り込み、あらかじめ40あまりのピットをつくっておいてくれた。この場所からは昨年、朝鮮人男性の遺体と思われる遺骨1体が発掘された。これは「強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム」が試掘した結果だ。
日本陸軍の指示で急がれた飛行場建設工事が想像以上に過酷なものだったことは、当時の新聞報道を通じて断片的にうかがい知ることができる。 1943年8月14日付の「北海道新聞」によれば「浅茅野事業場土工幹部が木村福音(23)を怠けているとて棍棒で殴打3日朝死に至らしめた事件、越えて7日夜、同事業所幹部が労務者金元金民をスコップで殴打8日朝死に至らしめた」(土工幹部殴り殺す」より)と報じている。犠牲者はいずれも朝鮮人と思われる。北海道フォーラムが調べたところ、戦時下121人の犠牲者のうち実に89人が朝鮮人だった。
12体掘り起こす
20日朝、犠牲者のために儒教式の祭礼を捧げると、参加者はスコップを手に黙々と土を掘り進めた。死者の改葬は日本の敗戦から実に61年ぶりである。5日間続いた発掘で埋葬遺骨2体、火葬遺骨10体が導き出され、棺に納められた。
24日午後には追悼の催しが執り行われた。アイヌ民族のイチャルパ、キリスト教牧師による聖書の朗読と賛美歌。仏教は曹洞宗宗務総長の導師で丁重な読経が行われた。そして儒教式の礼拝。チャングと鉦の響きの中で参加者全員が献花を行った。
共同ワークショップのもう一つの目標である参加者個人間の対話は、宿舎とした猿払村「憩いの家」で酒などを手に毎晩遅くまで続いた。
地元実行委員会のメンバーと多様な立場に立つワークショップ参加者。それぞれに感じた思いを述べあっただけに、意見の衝突も少なくなかった。若い学生と40歳代以降の世代間格差からくる齟齬も垣間見られた。
対話集会は毎晩、緊張感をはらんだ。すべて相互理解が成立したというわけにはいかない。しかし、この衝突と対話こそがワークショップの目的でもあった。
韓国人遺族の一人、張孝翼さん(74)はお父さんが連行されたとき12歳だった。当時を振り返りながら張さんは、「連行されるお父さんのズボンにしがみついたのに振りほどかれて、父は連れて行かれた。父が犠牲となった墓地に立つと涙が止まらない」と語った。
日本がアジアに仕掛けた戦争の悲劇はいまも終わらない。日本政府と韓国政府が遺骨問題の解決のための協議を続けている。政府と市民団体の協力で遺骨問題が解決して遺族のもとに一体でも多く戻る日の来ることを期待したい。(とのひらよしひこ、一乗寺住職)
(2006.9.13 民団新聞)