掲載日 : [2006-09-27] 照会数 : 8152
朝鮮期時代の工芸品3000点所蔵 日本民芸館
[ 日本民芸館・主任学芸員 尾久彰三さん
] [ 本館正面。2階には李朝工芸陳列室が設けられている
]
来月24日 創設70周年
柳宗悦が発掘 民族固有の美
来月24日、創設70周年を迎える日本民芸館(東京都目黒区駒場)。「民芸運動の父」と呼ばれ、初代館長を務めた宗教哲学者の柳宗悦(1889〜1961)は、無名の職人や民衆たちが作った工芸品のなかの美を見つめてきた。同館が所蔵する日本や海外諸国の工芸品は陶磁器や織物、木工品、金工など約1万7千点。なかでも朝鮮朝時代の陶磁器や民画、木工品などは約3千点にのぼり、創設当時から常陳するなど韓国民族固有の美を紹介してきた。日本の植民地政策に対する批判を貫き、韓国の人々に敬念の情を持ち続けた柳宗悦独自の哲学について、同館主任学芸員の尾久彰三さんに聞いた。
一つひとつの美を尊重
複合され人類の平和へ
−−日本の植民地時代、柳先生の根底にあった韓民族に対する情愛とはどのようなものだったのか。
尾久 植民地政策で韓民族は虐待されていました。そのような状況のなかで、そうしたことは許されないという証拠の一つとして、優れた民族造形を持っている独自性をそこに見いだしています。当然、哀惜の念がないとできませんが、そういう造形物を通して、ひしひしと柳先生は感じたということです。
−−隣国の人のために植民地政策に対する憤りを込めた文章を書かれたが、罰せられる覚悟はしていたのか。
尾久 もちろんです。真似のできないことですが、韓国の固有であるということに柳先生は、独自の確信を持っていました。民族固有の物を大切にしなければ、人類の平和はないという思想は先生のなかにありました。その平和の証、民族独自の素晴らしさの証の一つを先生は美というものに見ました。もう一つ狭くすれば工芸というものに見て、さらに狭くすれば権力者たちのものではなく、民衆のものに見たのです。
−−朝鮮朝時代の工芸品のどこに惹かれたのか。
尾久 朝鮮朝の陶磁に惹かれたというよりも、決定的な出会いをしたということです。その出会いというのが実に不思議なもので、大天才というものが時代の背景を持って生まれて出現してくるということです。その出現の仕方を後になって考えてみると、それは偶然か必然かは分からないけれど、むしろ神という存在がその時代に排出するんだという、そういう答え方しかできないくらいの出会いです。
−−企画展以外にも室内演奏会など新しい試みを行っていますが。
尾久 11月9日から来年1月28日まで、ソウルの一民(イルミン)美術館で「柳宗悦展」が開かれ、「複合の美の平和思想」のタイトルで講演します。野の花の数だけ美しさがある。それを一つにするということは間違いである。今の地球においてとても重要な思想です。複合の美というのは一つひとつ個性のある美を尊重して、それが複合されて人類全体の平和を目指さなければいけないというのが先生の哲学です。先生が日帝時代の政策に対して闘ったのはまさにそれです。
−−ありのままを受け入れることに抵抗のある方もいると思うが。
尾久 受け入れる自分をそれぞれが作るということです。それでは受け入れる自分を何で作るかです。ただ民芸館は美を通じてやっています。美といっても権威主義的に買うことも、側に置くこともできないという美ではありません。気が付けばどこにでもある美です。自然がそうです。そこにあることは皆分かっている。それを美しいと見られないのは、自分で見ない努力をしているからです。自分で見ないようにしないでと言いたい。
−−先生の志を今後、どのように継承していきたいか。
尾久 韓国との友情を先生が行われたように今後も続けたい。「柳宗悦展」もそうですが、そのような求めがあれば、それに答える姿勢を持っていくということです。
(2006.9.27 民団新聞)