掲載日 : [2006-10-18] 照会数 : 10365
<民論団論>「5・17事態」 なにを教訓とするか
総連との間で発表された「5・17共同声明」以降、4カ月にわたって続いた民団の混乱事態は、9月21日の臨時中央大会でひとまず収束したとはいえ、正常化はまだ緒についたばかりだ。私たちはまず、一連の事態からどのような教訓を導き出すべきか。寄稿を呼びかけたところ、読者の皆さんからさまざまな意見が寄せられた。一部を紹介する。
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金仁哲 民団神奈川自営業
真相糾明機に変身を 政治的状況に鈍感すぎた
民団新聞前号にあった「創団60周年を迎えて」と題する鄭進団長の談話は、「私たちの公器たる民団新聞までが虚偽の報道を行い、偏った論評を繰り返した」と手厳しく指摘していた。
事実、執行部の性格によって機関紙までがこうも変わってしまうのか、という驚きは消えない。韓日両社会に発信される機関紙が、団員の総意から著しく離反した河執行部の利害にのみ奉仕し、全団員に罵声を浴びせ愚弄するキャンペーンを張ったことは、民団本体の名誉と実績を大きく毀損させた。
その代表格が低級な論理で河執行部を擁護し、罵倒用語を単純に繰り返した8月15日付の社説である。この社説は要するに、5・17声明は民団の基本方針を誤ったものではないとの前提に立ち、批判的な団員たちを「反国家・反政府・反民団」的だと恫喝したものだ。しかし、結論から言えば、5・17声明は民団の理念と基本方針に真っ向から背いたものである。
民団の理念を示す宣言は、民団が同胞唯一の指導団体として、人類共通の価値観である自由民主主義による祖国統一、地域社会との共生、在日同胞社会の再編に臨むことを謳っている。
そう明文化される以前に、地方で総連との交流を推進してきた団員の間には、総連との真の和解とは、北韓に盲従することなく在日の共通利害を優先し、民主主義的な組織運営に転換するよう促すもの、という暗黙の了解があった。民団の精神を総連に売り渡すことでは決してない。
5・17声明はどうごまかそうとも、「我が民族同士の理念」なる北韓の論理に基づいて、総連・韓統連が主導的に作成したものだ。なぜ、こんなことが可能だったのか。35年前の現・韓統連グループによる民団破壊策動以来、大きな事変がなく安穏としてきた民団がゆえに、自分たちを取り巻く政治状況に鈍感過ぎたのである。
韓国では親北勢力が勢いをつけ、それが実体のない韓統連に政治的なパフォーマンスを可能にさせ、統一教会が母体の勝共連合さえ平和統一連合なるものに改変させる土壌をつくった。この親北勢力が、日本を取り込むためにもまずは在日社会を、そのためには民団を掌中に収めようとするのは、けだし当然のことではないか。
これに対する危機意識は、民団の一部にもあった。しかし、その危機意識は浸透せず、民団の弛緩を証明することにしかならなかった。生活者団体であるとしても、民団には政治的に高いレベルの判断が求められる。北韓の核実験によって、韓半島は風雲急を告げており、民団も安穏とはしていられない。5・17事態の真相糾明を機に、政治意識にも敏感な民団への変身は避けられない。
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具滋源 民団滋賀本部団長
組織再生の突破口に 意味深い圧倒的多数の署名
民団の今後の舵取りは大変だが、失われた信用・信頼の回復に邁進して欲しい。私はまず、民団正常化推進委員会(正常化委)に対する評価と批判があいまったことを踏まえ、正常化委の共同代表の一人として、その役割は何で、目的は何であったかを整理したい。
6月24日の臨時中央委員会が消化不良を起こし、河丙団長の退陣を求める動きが加速化した。7月8日には、15の地方本部と5つの中央傘下団体の長が出席、河団長の不信任案を決議するため、「臨時中央大会開催」を求める署名運動を掲げて正常化委を発足させ、8人の共同代表を選出した。
署名運動のセンターとなる事務局を民団愛知本部に置き、民団神奈川本部が広報のサポート役割を担い、正常化委が活動を開始した。
48地方本部のうち37本部、7傘下団体のうち6団体が名を連ねるほどの勢いを見せた。有志6人によって550万円ほどの資金が集まり、正常化委の活動を支えた。民団愛知本部は、日常業務に一切支障がないよう、非常勤の幹部を協力させる万全の体制で臨んだことを、特に申し添えたい。
重要なのは民団の綱領、理念に抵触し、規律違反を犯していたことであり、民団の乗っ取りを計ろうとした韓統連の存在であった。民主的なルールを無視して秘密裏に事を運んだ独善性、全国団長会議での強権発動示唆、原因が外部にあるかのように主張し、機関紙である民団新聞には事実報道すら避けさせるなど、事態を取り繕う手法に対して、団員は「ノー」と言ったのである。
もちろんその根底には、創団60周年を迎える民団の存亡への危機感があったことは言うまでもない。問題点を感じながらも、河団長を辞任までさせる必要がないと言う地方本部、中央委員、代議員はいた。しかしそれに対する答は、371人という圧倒的多数の署名だった。
正常化委は共同代表の合議制をとり、拘束力や強制力をもたせることなく、署名という一つの目標に向かうだけの委員会だった。残念ながら、団長候補の問題でつまづきを見せたのは事実だ。
当初は人事には一切関与しないことにしていた。だが、河団長の推す候補者が立候補し、万に一つ当選するようなことになれば、何のための正常化委なのか、意味がなくなる。
そこで、特定個人を押し立てるのではなく、立候補者が出揃った時点で、推薦することに決め、民団正常化への道筋をつけるべく方針を転換した。ところが、団長候補が5人という予想もできない状況が生まれた。団長選挙で再び混乱を招きかねないとの憂慮の声が上がり、ギクシャクしながらも最終的には、2人の候補者を推薦し、その一本化に成功、後は結果が示す通りである。
正常化委がなければ民団再生への突破口はできなかった。本来あってはならない組織がゆえの批判を甘受しつつ、このような組織が二度と必要とされる民団とならないよう、肝に銘じたい。
それにしても、選挙の過程で現れた足の引っ張り合いと怪文書・怪情報の洪水については、われわれ一人ひとり反省をしなければならないだろう。時代に取り残され、後ろを振り返れば誰もいない民団になりかねない。
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薛幸夫 民団鳥取本部団長
「在日宣言」を今こそ 堅持すべき人権・共生理念
本質的な誤りであった「5・17声明事件」の真相を糾明し、民団を在日の人権を守る生活者団体として再構築することを訴えた鄭進団長が誕生した。エールを送るとともに、新しい在日の運動体となるよう期待したい。
今、在日は混迷状態にある。それは「5・17声明事件」に起因している。民団と総連の「和解と和合」という響きのよい美名に瞬時、陶然とさせられたが、派手に打ち上げられた花火は時代ものの悪の華だった。
かつて70年代、南・北の祖国、民族を選ぶか、日本へ同化をするか、選択を迫られ、そのねじれと軋みから結実したのが、金鶴泳を代表とする在日文学の数々であった。
そして85年、裂かれたアイデンティティを求めて代表的な論争が現れる。在日が定住外国人であることのうちに含まれる「外国人」を強調し、「在日には祖国がある」「その流れを祖国に向け」なければならないと、在日の祖国志向を力説した姜尚中と「組織や国家にしばられず、国籍の壁を乗り越え、同化を克服し」「反差別を要求し、その人権を守るためにマイノリティーとして共生を目指す」在日を、民族ではなく民衆と規定し、定住化を志向した梁泰昊の議論であった。
これら在日論の帰趨は、その後の現実を見れば歴然たるものだ。同化はおろか帰化への遁走は加速しており、多くの在日が民族や祖国へ視線を向けていないのは明らかだ。
さて、在日とは何だろう。ある意味、韓国居住に代表される韓国人でもなく、朝鮮民主主義人民共和国の公民では決してない。在日が堅持すべき共通価値観は「人権」である。これは我々が勝ち取り、鍛え上げてきたものである。これは、世界の平和へとつながり、あらゆるマイノリティーと共存、連帯しうるものなのである。
在日最大の組織である民団は90年代その呼称から居留をとり、定住者の人権生活者団体として成熟を遂げてきた。その民団が人権と平和を害す拉致犯罪国家の準公館たる総連と和解・和合することはありえない。
「5・17」は総論と各論が転倒している。各論の地方参政権問題、拉致被害者、脱北者支援等「人権」こそ総論であり、これらを解決してこそ和解ではないか。総連が「北」のくびきを脱し、真の人権団体となってから和解なのである。「5・17共同声明事件」は和解・和合・南北統一という甘言のもと、民族と国家という古ぼけた廃棄物同然の用語を使い、在日を手段として政治的に利用、翻弄してしまった。
民団の責務は重い。過去の亡霊達を排し、体制を刷新し、その在日たる「人権」を闡明し、21世紀の「在日宣言」を謳いあげなくてはなるまい。
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李寿源 民団東京足立支団長
政治的な本国志向の愚 生活者団体の立場守りたい
「4・24提議書」に続く「5・17共同声明」発表は、晴天の霹靂の如し、民団組織、在日同胞社会の存亡に関わる重大かつ本質的な危機であった。
この重大局面を打開し、在日同胞のための民団組織を本来の姿に、より発展、強固にさせるため、この度選出された鄭進執行部は全力を投げ打つ覚悟で臨んでほしい。
構造物を手直しする場合は、新たに難しい構造物を作るよりも幾倍もの時間、労力、金銭を費やさなければならないが、私たちに課せられた民団正常化は迅速に解決せねばならない。
本来民団は、団員と在日同胞のための組織であるにもかかわらず、過去から現在にいたるまで一部の幹部らの目線、考え方は本国に偏る傾向が非常に強かった。
この度の「4・24提議書」、「5・17共同声明」は、まさしく団員を無視した行動であった。事の重大さは組織内部にすでに潜り込んだ不純分子の策動と同時に、売名に陥った一部人士達が本国政治に関与しようとしたところに原因があった。
1970年代の民団の組織混乱、今度の危機が如実に証明するように、民団が本国の政治に関われば、本国の政治的混乱が民団社会を混乱させ、ひいては本国の政治的混乱に拍車をかける。
結局、われわれに与えられたのは混乱であり、生活者団体の重要課題である団員、在日同胞の権益擁護のための貴重な時間と社会的権威、信頼を失った。このことを肝に銘じ、組織の存亡を左右することを再度確認する必要がある。
民団は団員と在日同胞のための組織にならなければならないし、団員は組織発展のために自ら大小にかかわらず参画しなければならない。中央の幹部と職員は特に、この度の重大事を教訓にして一点の曇りがなく透き通った姿勢で組織運営をし、今までのようなサラリーマン的、旧態依然のマンネリ化された考え、成り行き任せの思考を払拭し、地方、支部を大事にする組織づくりに努力してほしい。
去る9月21日に開かれた第50回臨時中央大会に、北は北海道より南は沖縄まで95%に上る501人の中央委員、代議員が平日にもかかわらず参加した事実は、在日同胞の代表組織である民団が、団結力が強く、不滅であることを世間に今一度アピールした。雨降って地固まるが如く、正常化に向けてスタートする準備はすでに整った。
(2006.10.18 民団新聞)