掲載日 : [2006-12-20] 照会数 : 10251
<社説>激動の06年を送る
英知と底力で危機克服 貫いた民団60年の信条
民団を襲ったダブルパンチ
民団はこの1年を本来、困難さを増しつつある組織運営の実態に真摯に向き合い、創団60年の歴史のなかに将来への光明を見い出し、新たな飛躍を期す意義深い年とするはずであった。
ところが、そのような試みには何一つ取り組めないまま、5・17事態によって民団は貴重な人力や財力を消耗させ、在日同胞の指導団体としての権威や共生基盤を固めるべき日本社会との信頼関係を著しく損ね、瓦解の淵にまで押しやられた。それを挙団的な力で食い止め、組織再生へいざ漕ぎ出そうとする矢先に、今度は財政面で険しい暗礁に乗り上げた。まさに、強烈なダブルパンチである。
03年度から05年度分の在外国民補助金の会計処理について、中央本部は指導監査当局から厳しい是正要求を受け、財政自立度についても苦言を呈されていたのだ。会計処理については見解の相違があるにせよ、補助金依存度が問題視されたことを屈辱と受けとめないわけにはいかない。
鄭進団長は、組織の正常化と失われた内外の信頼回復を急ぐとともに、着実な前進を図るための柱として、健全な自主財政基盤づくりを掲げて就任した。その直後に示された監査当局の指摘にも、現執行部はこれを謙虚に受けとめ、財政健全化に骨身を削る覚悟を改めて固めた。しかし、前途は多難である。
これからの民団はどうあるべきか。多くの団員が今もなお、忸怩(じくじ)たる思いと不安を抱えたまま、越年しようとしている。私たちは現在の民団に責任を負う立場から、この1年の諸相を自らに課した試練と受けとめ、今後への糧となる教訓を導き出さねばならない。
団員と財政基盤の縮小にともなう深刻な先行き不安、その的確な克服策と今後の方向性を示せないことへの不信、さらには補助金処理をめぐる誤解と疑心、これらが相乗して中央歴代執行部に対する批判が増幅されていた。河丙執行部の出現には、民団を牛耳ろうとする親北勢力の政治的思惑とは別に、河氏が唱えた「改革」スローガンに真面目に期待をかけるか、幻惑される素地があったことは否定できない。
徹底を欠いた問題意識共有
しかし、例えそうであっても、中央と地方が額を寄せ合い、民団を取り巻く政治的状況や諸懸案に対する問題意識を、せめて同じくしていれば、5・17事態は避け得たはずである。民団には全国地方団長会議、全国7ブロックの地方協議会、中央幹部が講師を務める組織学院や各本部単位の研修会など、討議・意思疎通の手段が年間を通して準備されている。これらコミュニケーション・システムはどう機能していたのか、厳しく問われよう。
ここで重要なのは、5・17事態を引き起こした河執行部を誕生させたのも民団ならば、在任わずか半年で退陣させたのも同じ民団という事実である。民団が長年にわたって培った特性の2つの側面が浮き彫りにされ、かつ交錯したなかに貴重な教訓が見い出せよう。2つの側面とは言わば「平時の緩み」と「戦時の底力」とである。
中央歴代執行部はもちろん、地方組織の窮状からくる不安・不信を無視したわけでも、打開策に腐心しなかったわけでもない。しかし如何せん、結果を出せていない。中央3機関長選挙ともなれば全候補者が必ず、重要政策に掲げてきた「基本財政の自立化」がその典型である。
主要継続事業だけでも多岐にわたる民団にとって、当面の仕事をこなすのに精一杯という状況があるにせよ、財政懸案にどれほど本気で取り組んだかと問えば、やはり疑問符がつく。
故郷・祖国に貢献自負強く
民団を中心とする在日同胞は、故郷への思慕や祖国の国力増強があってこそ生きられるとの信条から、郷土の社会間接資本の整備や国の経済発展に多大な貢献をしてきた。70年代だけでもセマウル運動支援を中心に、在日同胞の本国投資は約3000億円と推算されている。
また、大使館をはじめ日本主要都市に設置された12公館のうち、9公館の建設に供された同胞の誠金は1600億円を上回るとの見積りもある。さらに加えるならば、民団は在外国民の全国組織として準公共団体の性格を持ち、本来なら公館の業務に属する在外国民保護のサービスが日常的な活動の本分でもある。
祖国に貢献した実績は枚挙に暇がなく、その全体像はとても数値に換算できるものではない。団員の多くにはこうした実績とそれに基づく自負心がゆえに、在外国民補助金の多寡や使途について、言うべきは言う権利がある、と強く思っている。
自治組織である以上、財政の自立は当然の責務とする問題意識から、誰もがこれを喫緊の課題としながらも具現できなかった要因の一つに、そうした心情があった。
「平時の緩み」もう許されぬ
この1年の激動によっても、民団が還暦を迎えた歴史的な意味、民団の存在意義にはいささかの揺らぎもない。
しかし民団は、その遺産に寄りかかるだけで、そこから新たな力を生み出さなければ、将来は保証の限りではないという時点に立っている。不徹底な意思疎通や意思決定、それと連動する懸案解決の先送りなど、「平時の緩み」はもう許されない。
民団には5・17事態の正常化過程で示された「戦時の底力」がある。この「底力」は決して「馬鹿力」ではない。韓国内のイデオロギー葛藤を背景に、特定の政治的思惑から民団を換骨奪胎しようとする策動に対し、団員たちは敢えてイデオロギー闘争には踏み込まず、民団の経験則、規約・規定、在日同胞の立場からの闘いに限定した。理念葛藤には与しないとの英知を持って、60年が培った生活者団体の信条を貫いたのである。
今後の民団に必須なのは、危機意識を持続的に共有し、英知に裏付けられた「戦時の底力」を常態として発揮することである。それが充分に可能であることを確かに示したのも、06年の民団であった。
(2006.12.20 民団新聞)