掲載日 : [2006-12-20] 照会数 : 7868
<06民団総括>異常正す強い自律バネ
[ 正常化推進委代表団は臨時中央大会開催を要請する371人の署名簿を提出した=8月10日 ] [ 河団長の辞任と臨時中央大会開催を決めた第5回中央執行委員会=7月21日 ]
「民団のため」団結…
危機をなぜ、短期で克服できたのか
民団中央執行部が親北勢力に牛耳られたのは、60年の歴史のなかでも初めてのことだ。それを体現した河執行部は、対立候補に66票の大差をつけての当選であった。それにしても、これだけの支持を受けた河執行部をなぜ、わずか半年で退陣させられたのか。
民団の規約上、団長の権限は絶大と言ってよく、退陣させるのは極めて困難な仕組みになっている。いくつかの大手本部でも、任期途中で退陣を余儀なくされた団長はいた。しかし、圧倒的多数の団員から糾弾を受けても半年で倒れた例はなく、再選挙・再々選挙になるなど、もつれにもつれたケースがあるだけだ。全国の、様々な力学が絡み合う中央本部であって見れば、なおさらのはずである。
民団を丸ごと売り渡すもの
早期の危機克服を可能にさせた要因の筆頭は皮肉なことに、河執行部が退陣しなければならなくなったそもそもの理由、つまり総連との無原則的な野合姿勢にあった。河団長は就任当日の記者会見で、自身の最大事業目標は朝鮮総連との統合にある、と公言したのである。これが当選後の高揚した気分による思いつきではなく、彼の確信から出た言葉であることが5・17声明によって証明された。河執行部が露骨に示した非民団性を、民団そのものが、伝統的な自律神経によって排除しなければならなくなったのだ。
声明を不当とする指弾は、民団内部の見解の相違や紛糾の次元から出たものではない。団員たちは「民団そのものを丸ごと総連に売り渡すもの」と受けとめたのである。だから、一気に危機意識を沸騰させ、それを一挙に凝縮させて声明の白紙撤回、さらには早期退陣へと動いた。異常を正常に戻そうとするバネの強さは驚くほどである。
河執行部は「改革」と「和解」をスローガンに登場した。この「和解」について、中央委員・代議員・選挙人たちは、歴代執行部の方針の枠をはみ出すことや、民団の原則的立場を放棄することは想定していなかった。団員・有権者が真に期待したのは、「和解」ではなく「改革」であった。今号の本紙社説も指摘しているように、中央の歴代執行部に対する不満が蓄積していたからだ。
しかし、5・17声明は、河執行部の言う「和解」なるものが、総連と無原則的に野合し、民団を売り渡しかねないものであることを証明した。「改革」なるものも、その野合を可能にする方便に過ぎないことも明らかになった。「裏切られた」という憤りは凄まじかったと言うべきだろう。
河執行部は、正常化運動の担い手を「負け組」と罵るなど、運動自体を選挙の後遺症であるかのように矮小化しようとした。しかし民団は、大会で自分たちが選出した団長を早期に退陣させなければならない、逆に言えば、早期に退陣させなければならない団長を選出した忸怩たる思いを抱えつつも、2・24選挙の後遺症に支配されることなく、「負け組」も「勝ち組」も選挙時の立場を超えて、民団を救わねばならないという一点で団結したのである。
民団正常化推進委員会に37地方本部、6中央傘下団体が結集し、臨時大会の早期開催を求める中央委員・代議員の署名が短期間で7割に当たる371人に達したことが、そうした団員の心情を雄弁に物語っている。
在日の心情を見くびり過ぎ
それにしても、河執行部は在日同胞の心情、民団の精神を見くびり過ぎた。5・17声明にこれほどまでの反発が巻き起こるとは、予想もできなかったに違いない。韓国内の政治的潮流と親北勢力の手前勝手なイデオロギーにとらわれた小英雄主義のなせる業であろう。
河執行部が、在日生活者の立場に立った理念を尊重し、規約に依拠しなければ民団は動かせないという、厳然たる事実に気づいたのは、5・17声明で猛反発に合ってからのことだ。反対に、正常化運動の機軸になったのは当初から、在日同胞の現実的な立場であり、60年の歴史が培った民団の理念・規約である。
民団正常化推進委員会の「臨時中央大会を召集する署名運動趣旨文」の要点は、つぎの3点だ。
①5・17声明は民団理念と団員の総意に真っ向から背いただけでなく、創団以来ともなる重要対外政策を常任委員会・執行委員会に一切秘匿したまま、数人の謀議で決したものであり、明確かつ重大な規約違反である②河団長は混乱事態の責任を外部と下部に転嫁し、混乱収拾の機会であった臨時中央委をむしろ混乱拡大の場とさせるなど、もはや事態を収拾する意思も能力もない③河団長が存在する以上、民団は失った信頼と威信を回復することは不可能であり、民団を救うには合法的な手続きにしたがって河団長不信任を議決し、民団の健全な自浄力を内外に証明するほかない。
こうした論理の土台には、在日同胞社会の唯一の指導団体として、在日同胞の立場と民団の役割に対する強い自覚があった。
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謀議で民団は動かせない
日本社会から見れば、総連は破防法調査対象団体とされるものの、国家犯罪と大量破壊兵器の開発を続ける閉鎖的で封建的な社会主義王朝国家に、盲従するだけの団体に過ぎない。すでに、社会的に孤立し組織の弱体化も目立っている。
一方の民団は、韓国をバックボーンにしながらも、在日同胞の独自性を前面に出してきた。指紋押捺制度や国籍条項など各種行政差別撤廃や地方参政権獲得運動を粘り強く進め、歪曲歴史教科書採択阻止など歴史認識問題でも果敢に行動してきた。日本社会を堂々と内部から突き動かす、いわば厄介な対象だ。
しかし民団は、同じ民主主義・市場経済国家として価値観を共有する韓日両国の友好増進や関係安定化に、大きな役割を果たす存在として無視できないばかりではない。民主主義的な開かれた組織運営に徹し、そのもとで人道・人権の尊重を第一義とする共生理念を掲げ、日本の各市民団体や自治体との連携も幅広い。それゆえに、扱いにくくも一目置かれる存在であった。
ところが5・17声明は、秘密主義によって「民主主義的で開かれた組織運営」を破壊し、総連と無原則的に野合したことで、「人道・人権の尊重を第一義とする共生理念」を大きく損壊させた。民団に対する内外の信頼を支えた2本柱に、決定的なヒビを入れてしまったのである。
日本社会は先の教育基本法改定で、「愛国心」の培養を義務付けたことでも分かるように、ナショナリズムを高揚させ、国家主義的な傾向を強めており、誇りと独自性を大切に生きようとする在日同胞にとって閉塞感が強くなっている。民団はそうした同胞の拠り所として重要性を増さざるを得ない。在日同胞のために、まずは民団がしっかり生き残ることが何より優先されるのだ。
危機を早期に終わらせたのは、民団のこうした自意識であり、それに支えられた内と外との連携である。正常化推進委の全国的な動きだけでなく、河執行部のなかにありながら、常任委員会・執行委員会の働きにも無視できないものがあった。この二つの機関は、規約・規定はもちろん、団員の世論を背景に河団長ら一部の独走を強く牽制し、ついには辞任への扉をこじ開けるうえで大きな役割を果たした。
常任委メンバーには河団長以下、彼に任命された副団長らが入り、君臨したとはいえ、歴代執行部を支えた事務総長や局長・副局長が残った。中執委メンバーも、親北グループだけで構成できるわけもなく、民団精神を体現する地方本部団長らが名を連ねていた。総連との「和解」演出は数人の謀議でできても、民団そのものを動かすことはできなかったのである。
今号の社説は、この1年に現れた民団の特性の2つの側面として、「平時の緩み」と「戦時の底力」を挙げた。創団60周年という記念すべき年の、重要事業を空転させ、人力と財力を消耗させたのは痛恨の極みである。であればこそ、正常化過程で改めて発見・自覚した、英知に裏付けられた「戦時の底力」を大切にしたいものである。
(2006.12.20 民団新聞)