掲載日 : [2007-01-01] 照会数 : 12927
なぜ?『韓国だ〜い好き』…神野美伽さん
<新春インタビュー> 初訪韓の感激が原点
孤児院訪問も恒例行事に
韓国が大好きという日本女性が増え続けている。20年間もその気持ちを持ち続ける歌手の神野美伽さん、3年前から韓流ドラマに魅せられ、韓国に語学留学するうつみ宮土理さんに、代表格として登場していただいた。
国中に音楽があふれている
初めて韓国を訪れたのはソウル・オリンピックの前年、87年でした。テレビの旅番組の企画で、当時はまだ韓国では一般の人々に反日感情が強くて、番組としてはいろいろと大変でした。私自身も韓国のことを何も知らなくて、韓国人の反日感情の理由どころか、反日感情があることすら知らなかった、そんな程度でした。
ただ、市場など街の中のあちこち、観光地の休憩所やバスやタクシーの中など、それこそあらゆる所から大音響で音楽が聞こえてきたのです。その音楽に合わせて一緒に歌う人ばかりか、バスの中では踊り出す人も大勢いました。
音楽のジャンルも様々で、国中に音楽があふれている。韓国の第一印象はそれでした。
しかも、歌詞の意味は全然分からなくても、日本よりも感情がこもった歌声は、どれも私にはとても心地よく感動が伝わってきました。歌手として私が歌いたい歌がここにもある、強くそう感じました。私は大きな衝撃を受けて、いろんなジャンルの音楽テープを買いあさっていました。そして心の中でひそかに思ったんです。「韓国で、いつか歌手としてデビューする」と。
買ってきたテープを一生懸命に聞きましたが、いかんせん韓国語が全くわかりません。それで韓日辞典を買ってきて、いちいち単語を翻訳しながら、歌の意味を探っていったのです。そんなふうに、独学で韓国語の勉強を始めました。
会話はその後、先生について勉強して、最近は何とか話せるようになってきまして、01年にはNHKの「ハングル講座」にレギュラー出演するほどになってしまいました。
そんな韓国語への情熱がずっと続いたのは、韓国でいつか歌手デビューするという夢を持ち続けていたからなんです。
韓国でも99年歌手デビュー
その夢は、12年後の99年に実現することになりました。その年は私のデビュー15周年で、記念のアルバムを作ろうといろいろと企画を考えているとき、韓国人の作品だけを集めたものにしようと決まって、しかも既存の韓国楽曲ではなく韓国人によるオリジナルの新曲だけにしようということになったのです。
それで韓国の著名な作曲家の先生方に広くお願いしたら、実に60本以上の作品が集まりました。それに日本人の作詞家が歌詞をつけ、さらに韓国語に翻訳して、全て韓国語のCD「海峡を越えて」を韓国で発売し、念願の韓国デビューを果たしました。韓国KBSテレビの「歌謡舞台」「開かれた音楽会」などの番組にも出演しました。
当時はまだ日本語の歌はもちろんだめで、韓国語とはいえ韓国のテレビで日本人の歌手が歌うことは画期的なことではなかったかと思います。
その少し後、私と20年来の友人、その方は日本人ですが奥さんが韓国人で、ご夫婦が援助されている韓国のある孤児院をご夫婦と一緒に訪問する機会がありました。ソウル近郊の議政府というところにある「イサク(稲穂)の家」という孤児院です。定員90名の比較的大きな施設で、0歳児から18歳までの子供たちがいっしょに暮らしています。そのときから毎年暮れに訪問するようになって、去年の12月14日の訪問が6回目になりました。
サンタクロースのオンニに
最初の訪問のときは私はただのお客様という程度でしたが、次の年からは私が歌手だということで日本の童謡を歌ったり、プレゼントを持っていったりするようになり、だんだんと子供たちと打ち解けるようになって、今はサンタクロースのオンニと呼ばれるようになりました。
去年の暮れに訪問したときには、私の夫(作詞家・荒木とよひさ氏)が作った「四季の歌」を韓国語に翻訳したものをみんなで歌ってくれました。
孤児の中に日本語を勉強したいと言い出す子が出てきました。ここの孤児たちにとって、私たちは生まれて初めて見る日本人で、日本語も日本の歌も初めてでした。そんな子供たちが少しでも日本に親しみを感じてくれて、日本語を学びたいと言ってくれる。とても感動しました。
子供たちの将来に少しでも何か役立つことがあるとすれば、それは望外の幸せです。
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フィール
しんの みか
1965年8月30日、大阪府貝塚市生まれ。84年に「カモメお前なら」で歌手デビュー。翌年に「男船」が大ヒットし、その後も実力派演歌歌手として活躍している。映画(「いつかA列車に乗って」/03年)や舞台俳優としても最近は活躍。今年3月、大阪・新歌舞伎座での座長公演「大相撲 女将さん奮闘記」に臨む。趣味や資格も多彩で、少林寺拳法や書道の有段者で花柳流の名取りでもある。
(2007.1.1 民団新聞)