■☐出席者
◆金紀彦氏◆金秀玄氏◆金弘智氏
「金敬得氏を日本国籍がないとの理由で、不採用にしないことに決定した」1977年3月23日、最高裁裁判官会議は韓国籍の司法試験合格者に初めて司法修習生採用の道を開いた。それから30年、いまでは多くの同胞弁護士が誕生している。法科大学院(ロースクール)の1期生で昨年の司法試験に合格し、現在、司法修習中の金紀彦、金秀玄、金弘智の3氏に在日韓国人として生きてきた体験や弁護士を目指した動機などについて語ってもらった。(司会、本紙編集部)
−−まず、先駆者である金敬得弁護士についての思い出を聞きたい。
金紀彦 先生が亡くなったのは2005年末だが、その年の2月に大学授業の一環として先生の事務所で2週間研修する機会があった。最初はとっつきにくく、「なぜ弁護士なんかになるのか、おもしろくない職業なのに」などと言われた。しかし、仕事はパワーに満ちあふれ、超スピードの業務処理には舌を巻いた。また、実際に仕事の現場や韓日関係の業務などを通じて、弁護士はこれだけ貢献できる職業だと実感した。先生が「今後、在日として生きていく上で在日社会をどうするか考えてほしい」と強調した言葉が印象深い。
金弘智 金先生とは2度お会いしている。高校2年の時、朝鮮奨学会のサマーキャンプに講師で来られたのが最初。もう1度は大学時代に講演を聴く機会があり、大学入学後に本名宣言した経緯や弁護士になった理由、自らの在日観などについて話を聴くことができた。わかりやすい中にも力強さを感じた。
弁護士から話を聴いたのは初めてだったが、強いインパクトを受けた。自分は政治学を目指していたが、先生の話がきっかけで弁護士という職業も魅力あるな、と考えるようになった。先生からもらったサインは今でも大事に保管している。
金秀玄 直接面識はなかったが、父親から「韓国籍で初めて司法修習生の道を切り開いた人だ」と聞いていた。
−−どういう点に心を動かされたか。
金弘智 先生が2週間かけて泣きながら書き上げ、最高裁に提出したという上申書のコピーをサマーキャンプの時に配布してくれた。ものの見方、考え方に偏りがない点に興味をそそられた。在日の権利を擁護、主張する人にありがちなパフォーマンスもなく、法理論に則って話をするので説得力があった。
金秀玄 既存の制度に対して声をあげ、自分の信念を貫くことはなかなか難しいことだが、最高裁に対してアクションを起こし、「韓国籍を維持しながら法曹にならなければ意味がない」と訴えたことに、非常に感銘を受けた。自分も韓国籍のまま生きていきたいと思うようになった。
金紀彦 未知の世界に正面からチャレンジした精神はすばらしい。さまざまな壁を乗り越えていった精神は尊敬している。私自身が受け継いでいきたい。
金弘智 同感だ。前人未踏の世界に挑戦し続けた人だと思う。当時は韓国人であることを明かすこと自体大変な時代だった。それを前面に出して貫く姿勢はすごい。多くの人に勇気を与えたのではないか。ロースクールの1期生として司法試験に合格できたのも、先生のお陰だと思うし、それによって自己実現の幅が広がったのは事実だ。
−−3人とも弁護士志望だが、今年末に1年余りの司法修習を終えた後、どんな弁護士を目指したいか。
金弘智 韓国語ができるので韓日のビジネス交流面で手伝える法律家になりたい。韓国にいる父の親戚に裁判官がいて、その人から「日本と韓国の文化をよく知っている在日の長所を生かさない手はない。両国の橋渡しにうってつけだ」とアドバイスされた。
金紀彦 まず、在日に関する法律問題。金先生は「都庁管理職問題が一段落すれば在日問題はめどがつく。今後はニューカマーや他の外国人を含めた在日分野に広がっていく」と指摘していた。そうした分野をやりたい。もう一つは韓日間の橋渡し役。そのためにはもっと韓国語を上達させたい。
金秀玄 人間に興味があるので、企業法務よりむしろ一般個人を相手に仕事をしたい。民事のみならず刑事事件でも困っている人を手助けしたい。自分が弁護士を目指した動機とも関わってくるが、公益活動や人権活動を通じて少しでも世のために貢献でき、一人ひとりの積み重ねで世の中全体がいい方向に向かえればと思う。自分が「在日」であり、在日が差別されてきた歴史と、それが改善されてきた歴史を知る中でこういう仕事をやりたいと考えるようになった。
ただし、これは在日だけの問題ではなく、日本社会で同じような立場の人たちがいるのでそういう人の手助けもしたい。在日だからこそ、いわゆる少数者を理解し、共感を持って仕事ができるのではないか。
−−弁護士事務所は敷居が高いとよく言われるが。
金弘智 司法制度改革の一環として法律トラブルを解決するための法テラス(日本司法支援センター)が昨年10月に設置され問い合わせが殺到するなど、徐々に“身近な弁護士”に変わろうとしている。
金紀彦 ロースクール制度も同じ趣旨なので、これからは弁護士が増え相談しやすくなると思う。我々法科大学院1期生の場合は身近な法律家を目指すべきで、単にカネ儲けのためならやめた方がいい。在日の立場からは弁護士同士で協力しながら、民団などを通じて在日社会と接点をもてればさまざまな問題に対処できるだろう。心意気さえあれば可能ではないか。
−−そういう面で共感したのか。
金紀彦 やりがいというのか人助けというのかわからないが、こういうことを念頭において活動できる職業だと思う。
金弘智 ロースクールの場合もそうだが、必要性があるから改革、新しいものが生まれる。ロースクールに入るとき「なぜ法曹になるのか」と何度も質問された。韓日間で締結される契約書は英語で行うケースが多いと聞いた。日本語も韓国語も文法がほとんど同じなので、もっと活用すべきだ。日本と韓国はスポーツや韓流などの交流が盛んになっているが、これからは法律面でのニーズがもっと増え、その懸け橋役として在日が役割を担えると思う。
金秀玄 祖父母や父母から在日に関する話を聞きながら、かつてさまざまな差別があったことを知ったのが弁護士を目指すスタートだった。
個人的に在日の人と会った場合、同じバックグラウンドゆえかなにか共感できるものがある。そういう意味でつながりを持てればいいと思う。弁護士として仕事をしていくうえでも何人かいなければできない仕事があり、在日のネットワークが必要だ。 金紀彦 私も同じで、在日だからこそ感じるものがある。相手が迷惑がっても、在日だと分かるとつい声をかけてしまう。話せば、互いに共感するケースがほとんどだ。共通の文化的背景を有し、似た体験をしているからだ。感覚的に「在日は集まろう」と言いたいし、仕事の面でも在日のネットワークがあれば非常に役立つ。ひいては在日・日本社会にも貢献するはずだ。
−−金敬得さんが生前、「若い後輩たちと輪を作りたい」とよく語っていた。そういう気持ちはあるか。
全員 賛成だ。
金弘智 ロースクールの制度ができた必要性の一つに多種多様の人材を取り込むということがあるが、在日の場合にもそれが言えるのではないか。医者や薬剤師は在日に多いが、法律問題と関連して相互交流するケースがあってもいい。そういう意味で多種多様のジャンルの在日の輪を広げることには賛成だ。
金紀彦 また、在日の法律問題は特殊性があり複雑なので、事業承継や相続などさまざまな相談にのりたい。そのためにも、金先生のアドバイスどおり、弁護士を数年間体験してから韓国に短期留学したい。
−−金敬得さんは大学入学後に本名宣言したが、皆さんはいつから名乗ったのか?
金秀玄 大学を卒業してから川崎、横浜の青年会などを通じて同胞と親しくなり、本名宣言するようになった。
金紀彦 幼稚園の時は本名だが、「きん・のりひこ」と名乗った。小学校入学に際して家庭訪問で訪ねてきた担任の先生から「通名を使った方がいいのでは」と勧められたが、両親が断った。
金弘智 私も小学校入学時は「きん・ひろとも」を名乗った。だが、小学校3年生から中学校まで朝鮮学校に通うようになり、それ以後はずっと「キム・ホンジ」を使っている。
社会人として就職する時、今は韓国語を話せることが就職活動の「売り」になるが、親の世代は選択肢が限られ大変な苦労をしたようだ。「正々堂々と本名を名乗れる現在はいい時代だ」という話を親から常々聞いている。
金秀玄 ずっと日本の学校に通い、通名だったこともあり、自分から主体的に韓国語を学ぼうという発想はあまりなかった。
しかし、本名を使い始めてから韓国語を習得したいという気持ちが強くなり、少しずつ学んでいるところだ。本名を名乗るだけで在日という存在が知られる。 金紀彦 子どものころアボジと一緒に韓国の墓参りに行ったとき、タクシーの運転手から「なぜ韓国語が話せないのか」と言われけんかになり、途中で降ろされ、炎天下の田舎道を2、3時間歩くはめになった。その時の体験から、韓国語はいつか覚えるぞという気持ちになった。
−−2世の両親が教育にかける情熱や期待は大きかったようだが。 金紀彦 それはとても感じていた。自分がやりたいことを説明すればたいていは認めてくれ、「頑張れよ」と励ましてくれた。教育に関して両親がちゅうちょすることは一度もなかった。
金弘智 自分の親だけでなく周囲の2世世代を見ると教育に熱心なところが多い。両親に心から感謝したい。
金紀彦 小さいころ、親から「医者か弁護士になれ」と言われたことがある。その時は実感としてわからなかったが、やりがいのある職業のひとつとして潜在的に意識していたのかも知れない。
金秀玄 自分の親も教育には熱心だった。父親が就職差別などを体験したので「在日として生きていくのであれば弁護士などの資格を持つべきだ」と小さいころから言われてきた。昔は厳しかったんだなと感じるが、自分の将来を考えた場合、さらによい社会をめざす職業に就ければと思うようになった。
−−同胞社会との接触も両親の影響か。 金紀彦 アボジが積極的に民団の行事、例えば光復節やクリスマス会などに連れていってくれた。子どものころ、アボジと一緒に韓国の墓参りに行ったのも貴重な体験だ。在日社会で人間関係を作ったり、韓国語学習や祭祀をやらねばと思うようになったのは両親の影響に違いない。
金弘智 中学までの民族学校時代は周囲が同胞だらけ。高校からは日本の学校に通い両方見ることができたのは、親の教育方針のお陰だ。 金秀玄 親からは「ー在日としてこう生きろ」ではなく、「自分の意思で判断しろ」と言われてきた。育った環境が違うので自分の体験を子どもに強制はできないというのが親の考えで、いまでは自分も共鳴する。自分に子どもができるようになっても、判断する情報を与えるにとどめたい。
金紀彦 日本国籍を取得する人に対してとやかく言う必要はないが、自分としては韓国籍でいることに不便を感じることはないし、逆にプラスになると考えるのでこのまま維持したい。
金弘智 かつてアイデンティティーを歪められた歴史があることを忘れてはならない。長い時間かけて回復したものをわざわざ戻そうとは思わない。
金秀玄 自分も韓国籍のままでいたい。両親の生き方を見ていると、変えようとする気持ちにならない。韓国籍でいることは異質な存在だが、いわゆるマイノリティーだからこそ存在意義があるのではないだろうか。日本国籍に変えると確実にその部分が失われてしまう。
■□ 金敬得氏とは
49年1月12日、和歌山市生まれ。72年、早稲田大学法学部卒。76年10月、司法試験第2次試験に合格したが、最高裁事務総局人事局任用課長から大韓民国籍のため選考欠格事由第1号(日本国籍を有しないこと)に該当するとして日本国籍取得を勧められる。金氏はあくまでも大韓民国国籍にこだわった。多くの支援者とともに外国籍のまま司法修習生に採用されるよう最高裁に請願し、ようやく認められた。外国籍の弁護士第1号として在日同胞の人権擁護と地位向上および韓国、日本にまたがる多文化・多民族共生社会を目指す活動に努力してきた。05年12月、死去。
■□3人のプロフィール
金紀彦氏 キム・キオン 1976年宇都宮市生まれ。京都大学法学部、立命館大法科大学院卒。趣味はアメフト。
金秀玄氏 キム・スヒョン 1977年東京生まれ。慶応大学法学部、一橋大学法科大学院卒。趣味は野球、サッカー。
金弘智氏 キム・ホンジ 1981年東京生まれ。慶応大学法学部政治学科、同法科大学院卒。趣味はサッカー。
(2007.1.1 民団新聞)