掲載日 : [2007-01-01] 照会数 : 17296
ナショナリズムの衝突を理解と信頼に
松本健一氏(歴史家・麗澤大学教授)
共生がアジアの知恵…多様性認め合う風土
話題の書『日・中・韓のナショナリズム││東アジア共同体への道』の著者・松本健一氏に、ナショナリズムの高まりで混迷と対立が深まったかに見える東アジア諸国間の、相互理解・信頼醸成への方法論を聞く。(取材構成/編集部)
冷戦崩壊で変わった世界史の秩序
『日・中・韓のナショナリズム‐東アジア共同体への道』のきっかけとなったのは、1昨年春にピークを迎えていた韓国や中国での反日運動の高まりでした。中国ではデモ隊に日系企業が襲われ、さらにその前年には中国で行われたサッカーのアジアカップで日本選手を観衆が罵倒したり、外交官の車が群衆に襲われるという事件などもありました。
それらの事態への危機意識を多くの日本人が感じて、私のところになぜ反日暴動が起こるのかという質問が殺到するようになったのです。これら反日暴動の直接的原因は、当時の小泉首相の靖国神社参拝です。首相の靖国神社参拝とは、先の戦争の総括という歴史認識に直接かかわることであり、韓国や中国の首脳もそのことを問題にしていました。
この本が出版されたのは小泉政権が終わる少し前でした。その頃は日本と中国・韓国との外交的関係が危機的状況で、日韓・日中の首脳会談が全く開催できないという異常事態におちいっていました。対立だけならまだしも、それらの対立を解きほぐす交渉の場さえなくなっていたのです。それらに対する、多くの日本人が持っていた危機意識がこの本を書く動機になっています。
その後首相が安倍さんに変わって、さっそく韓国、中国を訪問して首脳会談は行われるようになりました。それで事態は沈静化したかのように見えていますが、問題の本質は全く変わっていません。韓国や中国の、反日を媒介としたナショナリズムの高まりは、小泉純一郎という個人の性向だけには還元できない問題の深さや大きさがあるのです。そういう問題意識をきちんと解きほぐしておきたい、そういう思いでした。
1989年から始まったベルリンの壁の崩壊、ソ連消滅へと続いた東西冷戦構造の解体は、第二次世界大戦直後から続いていた世界史の秩序を根本から変えてしまいました。その後、それまで東西両陣営のどちらかに属していることによって抑えられていた、各国・各民族の自立、自己主張、国益の追求が一挙に解き放たれ、世界中で各民族がナショナリズムを声高に主張するようになりました。
インドとパキスタンの核開発競争、ユーゴスラビアの分裂、中央アジア各国の独立をめぐる抗争など、各地で地域紛争が激化し始めました。90年代初頭から始まっていたとされる北朝鮮の核開発も、そういう文脈でとらえることもできます。
ただし2、3百年の間の国民国家間の争いの歴史をもつ欧州諸国は、各国ナショナリズムのベクトルをEU(ヨーロッパ共同体)という形で収束しました。ナショナリズムが激しく対立している東アジアで、EUのような「共同体」の形成は果たして可能なのかどうか、それもこの本のテーマです。
「国民国家」の歴史浅い東アジア
近代のナショナリズムは、国民国家の形成を前提にしています。欧州では、国民国家の経験はウェストファリア条約やナポレオン戦争までさかのぼることができます。ナショナリズムの三要素は、①民族の独立②国家の形成③国民主権ですが、欧州では国によって違いはあっても、それぞれ300年から200年前後の国民国家の歴史を持っています。しかも、先の2つの大戦の弊害を人々は身に染みて知っています。
ナショナリズム対立のマイナス面を欧州ではしっかり総括し、その結果、EUに到達したのです。共同体形成は、欧州の人々にとって平和と繁栄のための必須条件でした。
目を東アジアに転じると、日本、韓国、中国の三国に限っても、全体として国民国家の歴史はまだ浅いと言わざるを得ません。日本だけは明治維新以後、一応140年の国民国家の歴史を持ち、過剰なナショナリズムを主張したことの失敗も多くの日本人は身に染みています。
韓国では解放後、1970年代からの軍事政権下の開発独裁という経済発展があって、それは評価される面があるとしても、86年まで何度か戒厳令が敷かれていたことを考えると、国民国家としての経験はまだ半世紀、20年そこそことも言えます。中国では共産党独裁政権をどう評価するかという側面はありますが、私は小平の改革解放政策以降に国民国家が形成されつつあり、こちらもまだその歴史は25年ほどだと考えています。
この地域ではまだ、欧州ほどに共同体作りへの思いは強くありませんし、そのイメージも各国バラバラです。東アジアでEU式の共同体は当面無理だと思います。一方で、東アジアの範囲を広げて、ASEAN(東南アジア諸国連合10カ国)+3(日本、韓国、中国)の、ゆるやかな共同体作りの動きがあります。
但し、こちらも参加国の思惑は「同床異夢」の様相で、この13カ国でのまとまりを強く主張する中国と、中国の覇権主義的動きを牽制する意味もあって、さらに自由と民主主義と法の支配を標榜する3カ国(インド、オーストラリア、ニュージーランド)をプラスした共同体を作ろうと主張する日本と、大きく分けるとこの2国の思惑の違いが目立ちます。さらにこの両案に対し、アジア+オセアニア地域だけの共同体作りを警戒する米国が横槍を入れています。
「ASEAN+3」にしても、「ASEAN+3+3」にしても、共同体への構想は、今のところFTA(自由貿易協定)のような経済関係が中心です。ところが私は、東アジア共同体はどうあるべきかと考えた場合、経済も大切ですが、東アジア全体の歴史的・文化的・精神的共通性、アジアのアイデンティティにこそ着目すべきであると考えています。
石の文明・砂の文明・泥の文明
私は別の著書で、東アジアの歴史的・文化的特性を「泥の文明」として定義できるのではないかと書きました。それは水田で稲作をすることによって形成された文明です。水稲は、土木・潅漑工事による水を管理して作られた「泥」の中で育ちます。インドから日本まで、東アジアのモンスーン風土の農業は、原則としてすべて泥で成り立っています。
それに対して、欧州とその植民地だったアメリカは「石の文明」、イスラム・アラブは「砂の文明」と私は呼んでいます。
「泥の文明」にはいくつかの特徴がありますが、一つには「共生」という、自然に育まれた文化的実験の多様性を認め合う点があると思います。以前インドネシアの学者から、インドネシアは人口から見ると世界最大のイスラム教国で、その学者もイスラム教徒でしたが、インドネシアのイスラム教徒は、アフガニスタンのタリバンのように仏教遺跡を破壊するどころか、世界的仏教遺跡やバリ島のヒンドゥ教を大切にしているのだという話を聞きました。イスラム教でも、インドネシアでは「泥の文明」の仲間なんだなとつくづく感心したものです。
別の例もあります。日本や韓国はもちろん、今やインドも世界的な「半導体大国」です。半導体作りとはとても緻密な作業で、微細なチリ一つあっても障害になります。これは水田の「泥」作りと共通しています。急斜面の棚田でも、荒地を開拓したたんぼでも、泥の中には小石を含めた石が一つでもあってはいけません。足を怪我させたり根付きが悪かったりします。小石一粒でも排除する水田作りと、チリ一つでも許さない半導体作りは共通の物作り文化に支えられています。
さらにこの地域では、高度に工業化しても食糧生産の基礎である水田の意味を今も大切にしています。将来的にもそうしないと、人口増が激しいこのアジア地域の食糧事情は悪化します。急速に工業化しつつある中国で、年7%の耕地の減少や水資源の不足もあって、生態系を無視した強引な潅漑工事や環境の悪化などが心配です。
そんな「アジア主義」の可能性を、戦後の論壇でも考え続けていたのが、私の研究対象でもある竹内好(たけうちよしみ)です。彼は、戦後論壇の主流とも言うべき丸山真男(丸山イズムとも呼ばれた近代合理主義を唱えた)の対極に位置していました。竹内が唱えた「近代の超克」という命題は象徴的です。
竹内は、満州事変以降の日本の戦争の二重性もいち早く指摘していました。それは、欧米列強との帝国主義「間」戦争であったと同時に、帝国主義国としてアジアへの「侵略戦争」でもあり、どちらにも負けたという指摘です。
戦後の日本人は、先の戦争で米国には負けたという思いは強いでしょうが、アジアに負けたという意識は今でも希薄だと思います。もっとも、当時の中国は国民党政権でしたが。敗戦後60年以上過ぎ、先の戦争の認識をきちんとすべきとの意見が高まっています。
今こそ竹内好の読み直しを薦めます。彼はナショナリズムにもきちんと向き合っていました。60年安保闘争は、米国からの自立をめざすナショナリズムとしての国民運動だったと考えています。竹内は最近、韓国や中国の学者にも注目され始めて、ドイツでも韓中の学者を交えた「竹内好に関する国際シンポジウム」が開催されました。
竹内のアジア主義とナショナリズムへの考察は、これからの日本と韓・中とのナショナリズム対立問題にも大いにヒントを与えてくれると思います。
「アジア・コモンハウス」の設立を
アジア主義、あるいはナショナリズムというと、先の戦争と結びつけられ、戦後は全否定といった雰囲気でした。しかし、アジアの国々が経済発展した今こそ、「ナショナル・アイデンティティ」を超える「アジア・アイデンティティ」というべき理念を、「泥の文明」というパラダイムの中で、再発見・再構築すべきではないかと考えています。
そのキーワードは西洋の「民主」に対する「共生」です。それは、自然・人間・社会を貫くものです。その文明の理念こそが、今は国ごとに閉じられているナショナリズムを乗り越えていくものになると考えています。その「アジア・アイデンティティ」を共有し「共生」の思想でうち固められた「アジア・コモンハウス」を、東アジアの現実的な問題を協議・調整する常設機関として設立しよう、というのが私の提案です。
それは、領土問題や自然環境やエネルギー問題など現実の対立事項を日常的に協議し対処していくものです。そこで識者や政府関係者が日常的に切磋琢磨し信頼関係を醸成していけば、ナショナリズム対立のアジア的調整は必ず達成できるものと確信しています。
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プロフィール
まつもと・けんいち
1946年、群馬県生まれ。東京大学経済学部卒業。法政大学大学院で近代日本文学を専攻。大学院在学中に『若き北一輝』を上梓し、以降、近代日本精神史を主軸に広範囲の領域で執筆活動を展開している。著書『竹内好論』『出口王仁三郎 屹立するカリスマ』『石川啄木』『近代アジア精神史の試み』『白旗伝説』『日本の失敗』『民族と国家』『石の文明・砂の文明・泥の文明』など多数。
(2007.1.1 民団新聞)