掲載日 : [2007-01-17] 照会数 : 8849
命を賭して強制連行同胞治療した日本人医師
[ 史実に感銘を受け学校祭で演劇を上演する江部乙中生徒 ]
精神の継承 この手で
史実掘り起こし調査 民団北海道
事実もとに演劇上演 現地中学校
【北海道】第2次大戦中、北海道根室市の牧之内海軍飛行場建設工事に強制連行され、発疹チフスに倒れた韓国人の治療にあたりながら感染して亡くなった3人の日本人医師の人道精神に国境を越えた共感が広がっている。民団北海道本部(金泰勲団長)は担当者を現地に派遣し関係者から聞き取り作業を行った。地元の江部乙中学校でも「青雲の志」と題して学校祭で上演した。
民団北海道本部と江部乙中学校を動かした共通のキーワードは「人道精神」だ。
同本部の金団長は「強制連行の朝鮮人は人間として扱われなかった時代にこのような心温まる事実を知り、ほんとうに驚きました」と話す。また、江部乙中学校教諭で演劇の創作・演出を担当した星多起恵教諭は「3人の医師の方々の使命感とヒューマニズムにあふれた人生が、本校学校経営の重点目標でもある『流汗悟道』の精神を貫いた生き方であった」と語った。
すでに61年前のことであり、史実を知る人はいまは少ない。根室市の桑野勝氏(76)=建設会社会長=が昨年、江部乙小学校の元校長で空知郷土史家のト部信臣氏(68)に話を持ちかけたことで多くの人の知るところとなった。
証言によれば、1943年、根室町牧之内海軍飛行場建設の労務者はほとんどが強制連行による韓国人だった。その数2000人。不衛生な状況下、言語に絶する過酷な労働で「タコ部屋」から発疹チフスが集団発生した。
軍は患者を前に人種別の収容を命じたため、韓国人は急ごしらえの病舎では収容しきれず、飛行場内の三角兵舎に入れられた。このとき、治療にあたったのが医師の福住一郎(39)であり、榊原徳太郎(32)、有光藤三郎(63)の3氏だった。3人の医師は心血を注いで治療にあたったが翌年から相次いで犠牲となり亡くなった。
民団北海道本部では昨年11月、玉基性直轄部長を現地に派遣、遺骨調査も兼ねて関係者から聞き取りを行った。調査の結果、①朝鮮人は朝4時から滑走路工事に駆り出された②深さ1㍍までは手で掘らされた③靴も食料も満足になく、素足を血まみれにしていた−−などの事実が明らかになった。勤労奉仕で現場を目撃した桑野さんは「大勢の朝鮮人が棍棒で叩かれるのを見て悲しくなった」と玉部長に語った。
星教諭は「強制連行されてきた朝鮮人労働者の方々のおかれていた過酷な状況を知るなか、命の尊さをあらためて感じ、自信、思いやりや責任感、優しさがさらに大きくなったように感じています」と話している。
(2007.1.17 民団新聞)