掲載日 : [2007-02-07] 照会数 : 11393
<寄稿>死者の「いたみ」に向き合う 佐藤壮広
[ 沖縄本島の韓国慰霊塔の前で記念撮影するフォーラムの参加者 ] [ 佐藤壮広(大正大、立教大 非常勤講師) ]
日韓宗教研究フォーラム=沖縄
現代社会へ訴えるかのように
巫者の配慮と感性
昨年12月21日から24日まで、「日韓宗教研究フォーラム」という学術団体のメンバー64人が沖縄本島を訪問し、戦跡や史跡、聖地や宗教施設を巡り、合同調査・見学を行った。
「日韓宗教研究フォーラム」は、1993年に始まった日韓の研究者によるシンポジウムが元となり、2001年に組織された学術交流団体である。2年に1度、日韓双方を開催地として国際学術大会を行い、日韓相互の歴史、宗教、文化、社会など諸分野にわたり、広く議論と交流を続けている。
フォーラムの一員として沖縄本島での合同調査・見学を提案した私は、そのプログラムに、「ユタ」と呼ばれる民間巫者の儀礼への参加も盛り込んだ。また、「いたみとアートの可能性」と題したトークセッションも企画した。
理由は、日韓の参加者と地元沖縄の人びとがともに、それぞれに歴史のなかで折り重なりつつ体験してきた「いたみ」をめぐり意見を交換し、これからの課題を探りたいと考えたからだ。その際の鍵となるのは、宗教者の感受性とアートである。
日本統治下で圧政に苦しみ、拷問・処刑された多くの死者たちのいたみは、もう消えたのか。県民の約3分の1もの人が戦禍によって死亡した沖縄で、「平和の礎」に名前が刻まれただけで死者たちのいたみは癒えるのか。また、韓国の民主化のなかで犠牲になった数多くの運動家たちのいたみは、もう過去のものなのか。答えは否である。
一般に「死者は語らない」とされている。しかし、沖縄のユタや、ムーダン(巫堂)と呼ばれる韓国の民間巫者は、死者霊の供養や救済のための儀礼を行い、死者とそのいたみに向き合ってきた。
ムーダンの存在や彼女らが行う「クッ」という儀礼は、韓国では多くの男性にとって迷信でしかない。沖縄でも、事情はほぼ同じである。巫俗の信仰世界は、主に女性たちのものとされてきた。
しかし、それらを迷信とすることは、大事なことをそぎ落としてしまう。それは、目に見えない世界を感受する感性や、亡くなってしまった人たちへの配慮である。ムーダンやユタの多くは、これらの感性と配慮の大切さを、現代社会のなかで訴えているように思えてならない。
人間の内面や目に見えない世界を、造形、絵画、音楽、詩、舞踊などを通して表現することは、芸術(アート)の実践である。この観点からすれば、儀礼を通して死者の存在やいたみを可視化する巫者らを、現代のアーチストとして位置づけることも可能だ。
夏に岡山でさらに議論
2007年8月に岡山県浅口市で、日韓宗教研究フォーラム・第4回大会が開かれる。テーマは「いたみと平和と霊的感受性」である。他者のいたみを感受しつつ平和を創っていくために、宗教者の感性と実践がもつ意義と射程を、そこでも広く議論する予定である。
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プロフィール
佐藤 壮広(さとう・たけひろ) 1967年、青森県生まれ。宗教人類学者。シャーマン的感性と芸術・文化の人間論を探究。市民講座や大学講義で自らシャウトする「歌の人間学」を実践。論文に「巫者の平和学」「追悼の宗教文化論」ほか多数。日韓宗教研究フォーラム・運営委員。大正大学、立教大学他非常勤講師。
(2007.2.7 民団新聞)