掲載日 : [2007-02-21] 照会数 : 6848
結成30周年事業を確定 青年会中央大会
[ 在日韓国青年会の第28回定期中央大会=韓国中央会館で ]
青年層 掘り起こす
韓国で5百人祭典 5月から全国キャラバン
在日韓国青年会中央本部は27日、結成30周年を迎える。10、11日に開かれた第28回定期中央大会は30周年事業として、500人規模の「青年ジャンボリー」を柱に会員対象を積極的に掘り起こし、青年組織体としての求心力を高めることなど、重点方針を策定した。一方、中央・地方の歴代役員を中心とした青年会OB会が23日、正式に発足する運びだ。節目の年に当たり、青年会発足の歴史的な意義の再確認と、新たな飛躍に向けての取り組みが本格化する。
記念式典は11月に
青年会中央本部の結成は77年2月27日。この歴史的節目を控えた在日韓国青年会(康孔鮮中央会長)は、韓国中央会館で第28回定期中央大会を開き、青年層を掘り起こして広範な連帯を図るとした07年度活動方針を採択した。大会には全国から代議員94人(定数103人)が出席した。
結成30周年記念事業は「07青年ジャンボリー」(9月14日〜17日、ソウル及びその近郊)と記念式典(11月17日、東京・韓国中央会館)の2つの柱で構成される。
まず、500人規模で開催する青年ジャンボリーは、「青年層の掘り起こし」に主眼を置き、30周年を機に総結集し、本国で自らの存在を問い直すというもの。韓国籍だけではくくれなくなった3世以降の世代に対し、「ルーツは韓半島」という共通項を尊重しながら、国籍を超えた「新しい価値」を創造し、多くの青年に共感帯を形成していく。
3泊4日の期間中は、同胞としての素養を身につける学習をはじめ、青瓦台や国立博物館などの訪問、料理・音楽・文化体験などの企画が目白押しだ。また、青年どうしの交流と団結を図りながら、ネットワーク構築と連帯強化に努め、停滞している地方本部と支部再建の契機にしていく。
このほか、歴代執行部が重点事業として取り組んできた「歴史を伝える運動」をまとめた『証言集』(仮称)を11月にも発刊する。1世の証言映像は編集し直し、歴史資料館に寄贈する方針だ。
OB会、23日発足へ 民団強化へ連携強める
次に、現役とOBが一堂に会して開く記念式典は、「未来への展望を指し示す契機」と位置づけられた。1部の式典では、30年の歴史をビデオで振り返った後に、歴代中央会長の基調講演やパネル・ディスカッションを通じて、結成31年以降の青年会の方向性などを提示する。2部のレセプションでは、各地方本部の活動状況を紹介する。
また、30周年の重点方針に掲げた2つの記念事業を成功に導くため、5月から6月にかけて「全国キャラバン07‐集え青年!」(仮称)を実施する。全国規模の宣伝活動を通じて、新しい会員対象の発掘と組織活性化を図っていく。大会には、民団中央本部の鄭進団長と金廣昇議長をはじめ各傘下団体の代表が激励に駆けつけた。鄭団長は「歴史を伝える運動」を高く評価し、青年会への全面支援を改めて強調した。婦人会中央本部の夫順末会長は康会長に激励の金一封を贈った。
「在日韓国青年会全国OB会(仮称)」が23日、東京で結成される。青年会が結成30周年を迎える節目の年に、OB間の連帯を広げるとともに、現役会員や民団を支える体制を整えようというもの。昨年2月、中央本部と地方本部の歴代会長経験者ら50余人で全国OB会発起人会(金京必会長=中央本部7・8代会長)を発足させ、準備を進めてきた。
結成趣旨文(案)では、青年会OBを「同胞社会の大きな役割を担う層」と位置づけ、民団地方本部の3機関長、事務局長など、「主要ポストで活躍している」と自負する一方、OBの総数からすると、「民団組織で活躍しているのはごく一部に限られている」との認識に立ち、「青年会時代に培った人脈・組織力・指導力を、民団・在日・日本社会で発揮することが望まれている」としている。
OB会の結成総会は23日19時開始。名称・会則・今後の方向性などを決めた後、懇親会で旧交を温めあう。会場は東京・新高輪プリンスホテル「飛鳥の間」。会費は1万円。
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民団危機克服しつつ誕生
【解説】在日韓国青年会の結成は、1970年代初頭の「民団内不純分子乱動事態」と呼ばれた、民団の危機的状況を克服する過程と軌を一にしている。
この民団危機とは、昨年の5・17事態を引き起こした韓統連の原型である有志懇(民団正常化有志懇談会)が、71年3月の第30回定期中央大会で団長選挙に破れ、民団中央執行部の掌握に失敗したことに始まる。
総連フラクション(一般的には、政党が労働組合や大衆団体の組織内部に設ける党員組織のこと)として民団内に根を張っていた有志懇は、これを機にその政治的策謀を公然化させ、すでに掌握していた在日韓国青年同盟、在日韓国学生同盟メンバーを先頭に立て、集団暴力行為をいとわず東京本部、神奈川本部を乗っ取り、民団中央のイニシアチブ奪取さえ企図した。この時、中央3機関長までが監禁・暴行されている。民団は長期にわたって機能麻痺に陥った。
背景には、北韓の間接的武力統一路線があった。北韓は68年、韓国各地に「南朝鮮人民」の蜂起を装った武装ゲリラを侵入させ、「革命状態」を偽装し、70年11月には、駐韓米軍を撤退させた後、北韓の武力を背景とする「南朝鮮人民」の蜂起によって韓国政府を倒し、統一を達成するとの「南朝鮮人民民主主義革命」路線を打ち出した。この路線を民団に適用した結果が「乱動事態」であった。これを主導した有志懇は韓民統を結成し、それが韓統連となって現在に続いている。
存亡の危機にあった民団を防衛すべく決起した青年たちは、韓青・韓学同メンバーの集団暴力に耐え、現・韓統連に乗っ取られた地方本部・支部を一つずつ正常化させる困難な事業の前面に立った。民団は72年7月、集団暴力の先兵となった韓青・韓学同の傘下団体認定を取り消し、8月には青年局を設置した。
以降、72年9月に広島で結成されたのを皮切りに、青年会が続々結成され、76年7月の鳥取をもって、全国化が完了した。中央本部はその翌年、77年2月27日に結成された。民団組織自体が混乱を収拾し切れていない段階での、旧韓青・韓学同の妨害活動を跳ね除けながらの全国化であった。
5・17事態は30余年前に、民団掌握に失敗した韓統連が合法的に民団指導部を乗っ取ったことに起因する。それを許したのは民団史および青年会史の風化が一因とも言える。青年会中央30周年、青年会OB会結成を機に、民団の青年運動史の再検証が望まれる。
(2007.2.21 民団新聞)