掲載日 : [2007-04-04] 照会数 : 10014
朝鮮通信使400周年 在日2世自分探しの旅
[ 康静春さん ]
[ 李恵美子さん ]
ソウル−東京 友情ウォーク出発
「21世紀の朝鮮通信使」になってソウルから東京までを踏破する「韓日友情ウォーク」一行が1日、ソウルを出発した。これは江戸時代の朝鮮通信使来日から400周年を記念、日本ウォーキング協会と韓国体育振興協会が中心となっての企画。ソウル−釜山約514㌔をぶっ通しで歩く本隊には民団新聞を読んだ在日同胞も2人加わっている。本隊参加者の中では最年少だ。2人に熱い思いを聞いた。
■□
韓日交流にロマン(康静春さん 広島県福山市)
「この1年、切なる思いにかられて自国の歴史を独学中のところ、民団新聞で友情ウォークを知りました」。康静春さん(56)=広島県福山市=から手紙を受け取った東京の「友情ウォーク」事務局ではすでに本隊の参加を締め切っていたが、便せんを通して伝わってくる熱気のようなものを感じて本隊に加えたと話している。
康さんは1昨年、ご主人を亡くし、2人で必死に切り盛りしてきた飲食店を閉店した。一時は1人で商売を始めたがうまくいかず、無力感を感じるばかりだった。これから1人で生きるという不安だけが康さんを苦しめた。思い悩んだ末、これまでできなかったことをやってみようと、方向転換した。いい意味での開き直りの気持ちだったといえる。
康さんの心の隙間を埋めたのは子どものころから大好きだった歴史だ。折を見ては近隣の図書館に足を運び、韓国に関する歴史書をひもといた。きっかけは朝鮮王朝時代の李成桂に始まる4代の王朝の変遷を描いた大河歴史ドラマ「ヨンエ・ヌンムル(龍の涙)」だった。好きな朝鮮王朝時代と日本の徳川幕府のつながりにロマンを感じたのだ。
康さんが友情ウォークへの参加を決めたのはもう1つ、ご主人への鎮魂の気持ちもあるようだ。たまたま本隊の通行ルートが慶尚南道にあるご主人の両親が生まれ育った地域を通過することを知ったときは運命的なものを感じたという。ご主人も生前、両親の生まれ育った故郷を自由に散策するのが夢だったからだ。それがかなわないまま逝ってしまった。
康さんは話す。「私にもルーツへの思いはあります。先祖があったから現在の自分がある。理屈ではありません。若いときは両親がどうして日本に来たのか、漠然とした疑問を持っていました。私がそうした主人の生前の願いをかなえてあげたかったのです」
康さんはソウルから釜山までの514㌔をぶっ通しで歩き、対馬からは通信使の寄港地をたどりながら大阪をめざす。
■□
父母の故郷を歩く(李恵美子さん 大阪市東住吉区)
李恵美子さん(56)=大阪市東住吉区=は根っからの旅行好きだ。近畿日本ツーリスト「あるくクラブ」は10年以上も前からの会員。知らない景色を楽しみながら見知らぬ人とふれあうのが最大の楽しみだという。「いちばんうれしいのは人の温かさを感じたとき。旅行はふれあいの宝庫」と笑顔を見せた。
東海道自然歩道は5年前から毎月少しずつ歩いている。これまで歩いたなかでもアメリカのグランドキャニオンは特に印象に残っている。歩いたことでこれまで見えなかった景色も堪能した。
今回の韓日友情ウォークには特別な感慨を覚えたと話す。父の生まれ育った忠清北道と、同じく母の慶尚北道を通ることに心を動かされた李さんは、本紙で募集の記事を見るや「どうしても参加したい」との気持ちを抑えられず、「なかば強引に申し込んだ」。
李さんは事務局から正式な参加通知を受けとるや、「これまで各地のウォークに参加してきたのも、父母の生まれ育った韓国の土地を歩くというこの日のためにあったのでは」と考えたという。ふと、新井英一の「清河への道」を聴いて「私たちどこからきたんやろ」と涙ぐんだ日のことを思い出していた。
韓国国内では1日、4〜50㌔ぶっ通しで歩く日もある。体力に一抹の不安はあるが、韓国や日本から同じ目的を持って参加した人たちとふれあうという楽しみのほうが勝っている。
母国への憧憬は白頭学院建国高校2年のとき、夏季学校に参加したことで育まれた。ソウル大の寄宿舎などに宿泊しながら約1カ月間、全国から集まった仲間と寝食を共にしたことは大きな財産となった。李さんは「自分の目で見てすばらしい国なんだと納得した。そういう先祖を持つ民族なんやと。自分のなかのいわれなき劣等意識が払拭された」と話している。
子ども3人はすでに独立した。いまはパートをしながらの気ままな1人暮らし。息子さんからは「生活費振り込んでおくから一生歩いておけ」といわれると苦笑いした。
(2007.4.4 民団新聞)