掲載日 : [2007-04-11] 照会数 : 36865
フラッシュ同胞企業人(2) 癒しで客呼び事業再生
[ 1939年大阪生まれ。東京の高校を卒業後、父親(済州市出身)のゴム工場を手伝い、20代で独立。現在はホテルやカラオケ、パチンコ店などを営む。4女1男。孫16人。囲碁名誉8段。 ]
ホテル・カラオケ店をチェーン展開
(株)クリアックス 李支宗会長
「人生は旅」。首都圏を中心に約20軒のホテルを展開中の伊東園ホテルグループ(本社・東京)のキャッチフレーズだ。ほかに「カラオケ 歌広場」(約70店)やまんが喫茶(8店)、パチンコホール(4店)を営む。「人間は死ぬまで旅。良き思い出を作ることが大切」と強調する。
独自のシステム
「お客に喜んでもらうにはどうするか、この1点だね」。社員にはつねに「整理、整頓、清潔に ニコニコ笑顔でお客様を迎えましょう」を復唱させている。
社員はパートを含め約5000人。平均年齢20代の社員のモットーは〈創意・工夫・実行〉。「お客に喜んでもらうためにあらゆる努力を惜しまない。独自のシステムはほかで真似しようとしてもできない」。カラオケ店の社名スタディーは、「仕事は勉強」に通ずる。
ホテルを開業してからリピーターが1年で6割、3年で7〜8割に達する。いかに満足してもらっているかの証にほかならない。ホテルは年間約150万人、カラオケは1000万人のお客が訪れる。06年度売上は約500億円。
若いときから「ビジネスの道で頑張るしかない」との志を抱き、20代前半で独立、テレビ拡大フィルターの製造販売を手がけたのが最初だった。営業所を東北から九州まで設置し、「よく売れたので、3日間寝ずに運転して回ったこともあった」と述懐する。
次にレジャー産業に乗り出し、パチンコ店やキャバレー、サウナなどが入居するレジャーセンターを都内に建てた。「高校しか出ていないし、韓国人というハンディもあったので、がむしゃらに働いた」。
転機となったのが94年のカラオケ業界への進出。通信カラオケが登場したときだ。曲目が無限に入力されコストも安いので、「これはいける」と感じた。首都圏を中心に「カラオケ 歌広場」を本格的に展開した。
4年前、競売に出た伊豆の伊東園ホテルを社員の研修所にと考え購入した。ところが、もったいないと思い直し、「これまでの経験を生かして独自のスタイルのホテル業をやってみよう」と決意した。
年中同一料金で
そこで打ち出したのが「1年中同一料金のホテル」。週末も年末年始も同一の格安価格(1泊7800円)は業界初の試みで、カラオケや囲碁・将棋盤の貸出も無料。大仁ホテル(8800円)や熱海ニューフジヤホテル(9800円)の場合は飲み放題サービス付き。客が客を呼ぶ繁盛ぶりで、不況の業界にあってはまさしく革命児だ。
倒産したホテルを買い取り再生したのは、わずか4年間で伊豆・箱根をはじめ会津若松、白樺湖(長野)、南房総(千葉)など20軒近い。「再建王」と呼ばれ、整理回収機構(RCC)の信頼も厚い。昨年末にはサービサー(債権回収会社)の免許を取得、銀行からホテルの不良債権を直接買い取ることが容易になった。
「時代のニーズにあったビジネスを考えることだ。今は癒(いや)しの時代。温泉もカラオケもまだまだ伸びる。とくにホテル事業に力を入れたい」。西日本でも実弟が同じシステムでホテル、カラオケのチェーン店を展開している。ホテルの目標数は東が50、西が30の計80軒。「じっとできない性分。まだまだ働くことが趣味」と笑い飛ばす。
(2007.4.11 民団新聞)