掲載日 : [2007-04-11] 照会数 : 8605
ソウル‐東京友情ウオーク 汗かきルポ(1)
[ 「朝鮮通信使の道」碑除幕に歓声をあげる(南大門の近くで) ]
朝鮮通信使400周年
写真記事 金井三喜雄
善隣友好へ歓迎一色
初日100人、一路南へ
黄砂にめげずに
ソウル・景福宮の上空は黄砂に包まれていた。8時30分に出発式。参加メンバーは日本隊32人、韓国隊10人の計42人。1日だけの参加者も加わって、約100人が世宗路を南へ歩き出した。
南大門の近くで、新たに建立された「朝鮮通信使の道」の碑が除幕された。漢江を渡ると黄砂がいっそう激しくなった。江南の市街地には早咲きの桜が咲いていた。食堂で「トンテチョンゴル(魚の辛味鍋)」の昼食。午後は畑が広がる旧道を進む。
午後4時過ぎ、最初の宿・城南市の浄土寺に到着。住職の韓普光師に道中の安全を祈願してもらい、精進料理をご馳走になった。何はともあれ、1日を無事終えた。
翌朝は5時に木魚で目を覚まされた。前日の黄砂は飛び散り、寒いがスッキリした天気。午後3時10分、歩行距離30㌔でゴールの龍仁大学入に到着。龍仁市役所前には「朝鮮通信使」のルート表示の石碑が建てられていた。
3日目の朝の気温は3℃。内陸の丘陵地帯は冷え込みが厳しく、水が凍っている。市街地を抜け、交通量の多いバイパスに出る。パトカーが隊列後部についてガードしてくれている。この付近のモクレンはまだつぼみ。
歩く道絵地図に
白岩里の町で「ユッケジャン」の昼食。カントリーウオーカーの山浦正昭さんが、ティッシュに女性店員3人の似顔絵を素早くスケッチして渡す。3人は笑顔で「イエー、カムサハムニダ(あら、ありがとう)」と微笑んだ。山さんこと山浦さんは、今回のウオークで「韓国の歩く道」をスケッチし、1日1枚の絵地図を作るつもりだ。
安城市に入ると、古道にお寺があり、松並木が続く。午後4時25分、今日のゴール地点に到着。歩行距離35㌔。安城市体育会の朴錫圭副会長らが出迎えてくれた。宿の入口には市が用意した「朝鮮通信使ウオーク歓迎」の横断幕。安城市は日本のウオーキング大会の代表地、東松山市(埼玉県)の姉妹都市である。
市職員の誘導で
4日目の朝も冷え込み、気温は5℃。韓国隊隊長で韓国体育振興会の宣相圭さんが、今日から韓国語を1日ひとつずつ覚えましょう、と提案。早速「おおー、寒い」は「アアー、チュッター」とみんなで反復した。近くの食堂で「ブデチゲ」の朝食。軍隊で盛んなソーセージや野菜、インスタントラーメンを入れた鍋で、なかなかうまい。
交通の激しい道路を渡ろうとすると、待機していた安城市職員が誘導してくれた。ありがたい。レンギョウ(韓国名はケナリ)の花が光を受けて黄色に輝いている。
峠を越えて忠清北道に入る。風が弱まり暖かくなってきた。おだやかな農村地帯が続く。何人かが手をつなぎ「釜山港へ帰れ」を声たからかに歌う。午後3時20分、陰城郡の金旺邑の役場に到着。歩行距離23㌔。役場での歓迎会で副邑長が「今回だけでなく、毎年訪問してください。東京まで元気で」と激励してくれた。
5日目の朝、車のフロントガラスが凍っている。宿の隣の食堂で「コンナムル・クク(豆もやしの辛味スープ)」で朝食。つけ出しのおかずが10品。その土地、土地のおかずがますます楽しみだ。ニンニクが大の苦手な稲垣ユキさんは、スープは慣れて何とか大丈夫だが、おかずはダメ。ご飯と海苔だけで食べる。それでも韓国にきたのは、とにかく「韓国を歩きたい」という一心からだ。
「今日で5日目。体が疲れて一番シンドイ時です。今日を乗り切ればだんだんよくなります。がんばりましょう」と、宣さんが出発前に呼びかける。金旺邑の役場でトイレ・ストレッチ。ストレッチの指導は日本ウオーキング協会指導員の資格を持つ参加者が交代で行う。
今日もパトカー先導で出発。通学でバス待ちの女子高校生がはにかみながら手を振ってくれる。バイパス沿いの高麗人参畑ではアジュンマたちが、朝の作業を始めている。高麗人参畑を覆う青色のシートが太陽の光を受けて鮮やかに輝いている。
満開の桜めざし
ひたすらアップダウンの続くバイパスを進む。コースリーダーのイムさんは、バイパスでは人々との接点がなく、歩くだけになり勝ちだと、旧道にコースを変えた。リンゴの里らしく、丘の上には大きなリンゴの形のモニュメントがあった。
峠からは長い立派な桜並木が続いている。まだツボミは硬い。釜山までのどこかで満開の桜と遭遇するはずだ。郵便局に入り「パソコン ジュセヨ」と、2台並んだパソコンの前に座り、HPを開く。送ったデータが入力されて更新されていた。
「忠州18㌔」の標識。国道にはこのように1㌔毎の標識がある。距離の確認が容易だ。今日は日差しがとても強く、だいぶ焼けそうだ。道端の店で宣さんが差し入れてくれたイチゴがとてもみずみずしい。
リンゴ並木を通り忠州市内へ。午後4時前、ゴールのKBS放送・忠州放送局に到着。職員たちが拍手で迎えてくれた、ここにも歩道には「朝鮮通信使の碑」が建てられていた。金浩福・忠州市長主催の夕食会に招待され、「ぜひかつての朝鮮通信使のように、韓日友好を深めてください」と激励された。
■□
プロフィール
かない・みきお(フォトグラファー)1944年東京生まれ、1966年慶應義塾大学経済学部卒業。1970〜2004年朝日新聞カメラマン。ロサンゼルス、ソウル五輪、南氷洋捕鯨ルポ、三宅島・有珠山・雲仙普賢岳などの火山噴火、ペルー・リマ日本大使公邸人質事件、アンコールワット遺跡、敦煌壁画、日本スリーデーマーチ、伊能ウオークなどを取材。2004年朝日新聞定年退職。現在はフリー。日本写真協会会員、全日本写真連盟関東本部委員。著書に写真集「モデル農村・大潟村の40年」「韓国一周友情ウオーク‐61日間1,575Kの記録」。
(2007.4.11 民団新聞)