掲載日 : [2007-04-25] 照会数 : 10169
ソウル‐東京友情ウオーク 汗かきルポ(2)
[ サクラ並木を太極旗を掲げて歩く一行 ]
朝鮮通信使400周年
写真記事 金井三喜雄
多彩な交歓の連続 疲労も吹き飛ぶ
1日参加者相次ぐ
「一緒に歩けてうれしい」 永川市で新寧面の面長も
時を追って疲労は募る。だが、沿道の人々の歓迎熱は高く、1日だけの参加者も増えて、多彩な交歓の連続に疲労も吹き飛ぶ思いだ。
8日(水安堡−門慶邑)。「鳥領峠越え」の日。サクラのツボミが膨らみ、チラホラと咲き始めた。鳥領峠は朝鮮時代、釜山・ソウル間の要所だった。左に標高1026㍍の主屹山、右に鳥嶺山の間に位置し、標高561㍍の鳥領には関門(関所)がある。
復元された第三関門には楼閣があり、左右に城壁が続く。関門を過ぎ今回のルートでは唯一の「古道」だ。朝鮮通信使の警護が引き継ぎを行った場所という説明板が見えた。
9日(門慶邑−聞慶市)。イチョウの並木をいくつか過ぎると、水を引いた田んぼが目立つようになり、道の両側にまさにあふれんばかりにピンクの花のサクラ古木が続く。旧道を心地よい風に吹かれながら、列は次第に伸びて300㍍にもなる。峠には、朝鮮通信使たちの使った馬がここで交代したことを示す、馬の絵が刻まれた石碑が建てられていた。
出迎えの申ヒュング市長が参加者全員と握手。在日韓国人の李恵美子さんは、「歓迎ありがとうございます。ふるさとの地を歩けて嬉しい」と涙ぐむ。
市民が差し入れ
10日(聞慶市−禮泉邑)。交差点に今度のウォークを記念した「朝鮮通信使」の石碑があり、ソウルから211㌔、釜山まで303㌔と刻まれている。
龍宮面の役場近くで年配者が「何をしているのか」と尋ねる。説明すると「国家的な行事だな。ぜひ成功させてくれ。みんなで何か食べなさい」と3万ウォンを差し入れてくれた。お礼に記念のTシャツとペナントをプレゼント。
11日(禮泉邑−安東市)。疲れのピークなのか、2人のベテランウォーカーの足首がはれ、ハリ治療を受けた。昨日郡庁から差し入れられたリンゴをおやつに食べる。安東市庁に着き、役職員1人ひとりと握手。庁舎での歓迎セレモニーでは、韓国自治体の日本人職員第1号、緒方恵子さん(熊本県出身)が紹介された。
12日(安東市−義城邑)。洛東江の歩行者専用橋を渡ると、断崖の上に領湖楼が見えた。朝鮮通信使をここで日本へ見送り、また帰って来たときに迎える、送迎行事が行われた場所という。スモモの白い花畑を通り、午後4時前に義城郡庁に到着。
13日(義城邑−軍威郡義興邑)。連日の接待だが、昨日は義城の人からサムギョプサル(豚の三枚焼の焼肉)をご馳走になった。「義城を皆さんが通ってくれたのが嬉しい」と焼酎を勧めてくれた。皆が感激し、女性陣が合唱で応えた。
今日は国道28号をひたすら歩き、軍威郡義興面の役場に到着。ここにもたくさんの子どもたちが待っていた。満面の笑顔に、疲れも吹き飛んだ。
14日(軍威郡義興邑−永川市)。山里のサクラは今が満開だ。今日は初めて40㌔を越える距離になる。明日との連続40㌔を乗り切ろうと、スタッフが気をもむ。
途中から通過地の永川市新寧面の面長さんら3人が加わった。女性職員は「新聞を見てすごく感動しました。一緒に歩けて嬉しい」と語る。もう1人、車で追いかけて来た女性が「いつもはマラソンをしていますが、今日は永川まで一緒に歩きます」と参加。新寧面の市街地に入ると、鐘、太鼓を打ち鳴らす「サムルノリ」の歓迎だ。にぎやかな演奏に、踊りだす女性ウォーカーも。永川市街に入るとここでも「農樂」の一団が先導してくれた。
家族連れの姿も
15日(永川市−慶州市)。今日も1日参加者が多数加わった。金是在さんは日本に住む商社マン。今回はソウルなどに出張、ここまで足をのばしてくれた。土屋さんは農協に勤める金哲珠さんと結婚し14年。男女4人の子どもがいる。5㌔歩いていったん戻り、午後にはご主人と子どもを連れて再び参加。大きな古噴が並ぶ一帯には、黄色い菜の花が咲き乱れて、幻想的な雰囲気だった。
17日(慶州市外東邑−蔚山)。雨にたたられた前日とは打って変わって、好転に恵まれた。だが、国道7号線は大工業都市・蔚山へ向かう大型トラックが多く、旗手は旗が車に接触しないよう気をつけねばならないほど。パトカーが最後尾につき、前の方から一列歩行の指示が出る。
ゴールの市役所近くで、地元中学校の生徒約100人から握手攻め。日本語で「コンニチハ」「ガンバッテクダサイ」と激励され顔がほころぶ。
18日(蔚山市−梁山市熊上邑)。国道7号をひたすら南下。今日も足の痛みや体調不良のため伴走車に乗る人が数人。時折車から降りて歩くが、また車に戻る。「歩きたい!」という「心」と痛む「体」の狭間で葛藤が続いた。
しかし、明日はいよいよ釜山だ。
(2007.4.25 民団新聞)