掲載日 : [2007-04-25] 照会数 : 7318
外国人登録法(令) 施行60年
[ 46年に大阪府が全国に先駆け在日の管理・統制を目的とした条例でつくった「朝鮮人登録証」。 ] [ 83年10月に東京を出発する韓国青年会有志による「押なつ制度廃止署名日本縦断自転車隊」 ]
いつまで続く「常時携帯」
日本の外国人登録法の前身である外国人登録令が旧憲法下最後の勅令として公布、施行(1947年5月2日。翌日は新憲法施行日)されてから、今年で60年になる。在日を中心としたねばり強い反対運動の結果、外国人登録法から指紋押捺制度はようやく廃止(93年から一部、2000年に全廃)された。だが、常時携帯制度等はいまだに維持されている。
外国人登録制度の足跡
入管法とは表裏一体…在日を管理・監視の対象に
いわゆるポツダム勅令として施行された外国人登録令(外登令)は、外国人登録証の常時携帯義務、退去強制を含む厳しい罰則を定めていた。
当時韓半島や台湾など旧植民地の出身者は日本国籍を持っていたにもかかわらず、「当分の間、これを外国人とみなす」との規定を設け、その適用対象とした。
その後の外国人登録法と出入国管理令を一本化したようなもので、当初から治安的色彩が強かった。49年の外登令改定で登録切り替え制が新設(2年ごと)され、不携帯に刑事罰がついた。
日本政府は、52年4月のサンフランシスコ講和条約(対日平和条約)発効を機に、旧植民地出身者は「日本国籍」を喪失し「外国人」になったと通達した。これによって、51年1月から施行されていた「出入国管理令」を在日にも適用。同時に、外登令に代わり制定された外国人登録法(52年4月)で、「同一性確認のための手段」として指紋押なつ制度を新設するなど、在日を管理・監視の対象とした。
指紋押なつ制度(14歳以上)の導入は、在日を中心に強い反対運動にあった。このため3年延期され、55年4月から実施されたが、日本国内はもとより国際社会からも「犯罪人扱いに相当する人権侵害」として批判が絶えなかった。
80年代初頭、日本はインドシナ難民問題をテコに「外圧」が高まり、国際人権規約や難民条約への加入を余儀なくされ、82年に出入国管理令を改正(出入国管理および難民認定法に)。「協定永住」(65年の韓日条約付属協定により創設)を取得していない人に永住を許可する「特例永住」制度が設けられるなど、在日の法的地位は以前より改善された。
82年の外登法改正では登録切り替え交付が3年(56年の改正で3年に)から5年に延長され、指紋押なつ義務は14歳から16歳以上に引き上げられた。しかし、指紋押なつ、常時携帯義務や重い刑罰制度などについては廃止はもとより軽減措置すら講じられなかった。
一方で、治安関係の外登法利用は、相変わらず続いていた。自治体窓口での登録原票閲覧による外国人の動向・身元調査をはじめ、居住地変更不申請を口実とした家宅捜査による別件捜査等だ。
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「指紋押なつ」撤廃運動
85年ピーク、181万署名…韓日「91年協議」で廃止決定
55年の指紋制度実施から毎年のように、在日同胞による押なつ拒否が散発的にであれ続いていたが、80年代に入り大衆的「拒否運動」として展開された。
民団は83年9月、指紋制度は基本的人権の侵害だと強調、100日間にわたり「指紋押なつ・常時携帯制度の撤廃100万人署名運動」を展開。日本法務省、治安当局は指紋拒否者の再入国申請をことごとく不許可とすることによって運動の広がりを封じ込めようとした。
83年12月までに目標を大幅に上回る181万人の署名を集めて国会に請願。84年10月には、翌年(55年)の登録証大量切り替え(37万人)に向けて、東京で「外登法改正闘争 在日韓国青年・婦人決起集会」を開催、組織的指紋拒否闘争を決め、デモ行進した。
さらに85年5月、日比谷公会堂で5千人規模の「指紋押なつ制度撤廃要求在日韓国人関東大会」を開き、決意を新たにした。7月から全国一斉に「指紋留保」運動を展開。留保者は開始2カ月で1万人を突破。日本社会に大きな波紋を呼んだ。
こうした運動の結果、86年2月に「指紋押なつは生涯1回」とする外登法改正案が国会に提出され、88年6月から実施された。しかし、これは抜本的改正とはほど遠いものであった。
このため民団では、韓日協定締結時に積み残された「協定3世以降の法的地位問題」に関する韓日「91年問題」協議の際に、「指紋押なつ制度撤廃」等の外登法改正も求めた。
89年の8月に「91年問題要求貫徹大会」を全国各地で開催。「指紋押なつ制度の2年内廃止」などを骨子とする91年1月の韓日外相「覚書」交換まで運動を継続した。「覚書」は外登証の常時携帯制度については「常識的、弾力的に運用する」と約束している。
韓日「覚書」を受けて91年5月に公布された「入管特例法」(日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国に関する特例法)で、在日は「協定永住者」および「特例永住者」から「特別永住者」に一本化され、3世以降に特別永住が認められることになった。同時に特別永住者の場合、再入国許可期間が延長され、従来の2年(許可期間1年、延長1年)が5年(許可期間4年、延長1年)となった。
民団、抜本改正譲らず
特別永住者と永住者に対する指紋押なつ義務を廃止(代替手段として写真、署名、家族事項を登録)する外登法の改正は92年5月になされ、翌93年1月から実施された。
同改正外登法の実施に際し民団は、常時携帯義務の廃止や刑事罰を過料に軽減するなど、人権尊重に立脚した法となるよう抜本改正に向けて運動を継続することを明らかにした。
外登法は、「人権尊重の方向で、5年後の速やかな時期に見直す」との92年の法改正時の国会付帯決議に基づき、99年にさらに改正され、2000年4月1日から、非永住者(1年以上の在留期間を付与された者または通算して1年以上在留することになる者)についても指紋押なつ制度が廃止され、永住者および特別永住者と同様の署名と家族登録事項制度に変わった。
また、永住者および特別永住者については、登録事項のうち「職業」および「勤務所または事務所の名称および所在地」が削減され、登録証切り替え期間が「5年」から「7年」に伸長された。 特別永住者の外登証常時携帯義務違反時の罰則は、「20万円以下の罰金(刑事罰)」から「10万円以下の過料(行政罰)」に軽減された。
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常時携帯の廃止 罰則規定軽減も
民団の改善要求
同改正案採択に当たり参議院は付帯決議で「永住者に外国人登録証の常時携帯を義務づける必要性、合理性について十分な検証を行い、同制度の抜本的な見直しを検討すること。とりわけ特別永住者に対しては、その歴史的経緯等が十分考慮されなければならない」と促している。
付帯決議は、さらに「特別永住者に対しては、再入国許可制度の在り方について検討すると共に、運用については人権上の適切な配慮をすること」を求めている。
民団では、特別永住者と永住者に対する常時携帯制度の廃止はもとより罰則規定の軽減、登録原票の開示規定新設に伴う個人情報の秘守徹底化を継続要望している。
同時に、再入国許可制度について、生活基盤が日本にある永住外国人に適用するのは「自国(居住国)を離れ再び自国(居住国)に戻る権利」を侵害するものとして、同制度の「永住外国人適用除外」を要求している。
(2007.4.25 民団新聞)