掲載日 : [2007-05-16] 照会数 : 9077
ソウル‐東京友情ウオーク 汗かきルポ(3)
[ 起伏の多い旧道を歩く一行。眼下の街並にまで行列が続いている ] [ 朝鮮人街道を歩く ]
朝鮮通信使400周年
写真記事 金井三喜雄
各地民団の激励受け東進
4月26日(大阪市‐枚方市=28㌔)。いよいよ日本国内ルートの歩行が始まった。1日参加のウオーカー13人。地下鉄の駅からあふれ出てくる通勤に混じって御堂筋を北に向かう。車の騒音が激しい。韓国からの参加者は習慣で、すぐに左側を歩こうとしてしまう、と苦笑。在日の康静春さんが横を歩き通訳する。
淀川の土手で太極旗を持って自転車に乗る男性とすれ違う。民団新聞をみて、勇気づけに来たという。旧・京街道の情緒が残る町並みを進んだ。
歴史と対面続く
27日(枚方市‐京都市=31㌔)。デイリー参加者13人が加わり、淀川土手を経て、国道13号に合流する。昼前に淀城址に到着。朝鮮通信使はこのあたりで川舟から降りて陸路をたどった。
名神高速・京都南インターチェンジにかかると、歩道はあるのだが、インターから出てくる車線を渡る横断歩道が無い。旗を横にして車を止めて横断した。東寺の五重塔を過ぎ、朝鮮通信使の宿所だった西本願寺へ。五条大橋からは河川敷の歩道を北に進み三条大橋へ。対岸の河川敷では旗を振りながら到着を待つ京都府ウオーキング協会のメンバーがいた。
28日(京都市・休養日)。「朝鮮通信使来日400年記念特別展‐誠信のまじわり」を開催中の高麗美術館へ。貴重な資料に触れ、「朝鮮通信使来日400年の歴史的意義」と題する記念対談を聞いた。400年記念事業のさきがけとして、私たちが紹介された。
29日(京都市‐守山市=35㌔)。今日から3日間、取材するため来日した韓国・東亜日報の記者とカメラマンが同行した。旧東海道を進み、朝鮮通信使の昼食場所や宿所になった大津市の本長寺でお茶の接待を受ける。朝鮮通信使の筆になる掛け軸がかけられていた。
大津駅近くの「渡来人歴史館」で、用意してくれていた昼食をとる。通信使の宿所だった守山の東門院本堂は21年前の火災で焼け落ち、贈られた壷と掛け軸も焼失したが、写真だけは残っていた。
30日(守山市‐彦根市)。中山道と朝鮮人街道の分かれ道に「朝鮮人街道」の碑。本願寺八幡別院は正使、副使、従事官が昼食に立ち寄った寺で、第8回通信使の従事官・李邦彦の「七言絶句」の書が残されている。
午後からは安土城址を見ながら、レンゲの花咲くのどかな農道を進む。彦根市の宗安寺は朝鮮通信使の宿所で、イノシシや鹿肉を運びいれるために作られた「黒門」が保存されていた。
5月1日(彦根市‐岐阜県垂井町=34㌔)。韓国・慶州以来雨、風の1日だった。中山道のきつい登り道を歩いて摺針峠着。ここには通信使が書いた偏額があったが、16年前の火事で焼失した。峠を下ると風が一段と強くなる。傘を前方に向けて進むから前が見えない。醒ヶ井宿には雨森芳洲が詠んだ「水清き 人の心を 醒ヶ井や 底のさざれも 玉とみるまで」の歌碑があった。
疲労の色濃いが
2日(垂井町‐愛知県一宮市=37㌔)。中山道と別れて美濃路を進む。松並木が10分も続く。自転車のおじさんから「ご苦労様」と声がかかる。大垣市の墨俣城で昼食。午後からは長良川の土手道を南下する。木曽川を渡り一宮市尾西歴史民俗資料館着。木曽川に船を並べて作った「船橋」の絵図と模型の前で、学芸員の説明を聞く。「船橋」は将軍と朝鮮通信使が通る時だけに作られたもので、船橋の中でもっとも規模が大きいという。
3日(一宮市‐名古屋市・鳴海=23㌔)。朝、民団愛知県本部の徐海錫副団長ら2人が激励に来てくれた。美濃路と東海道が合流する「七里の渡し船着場跡」着。「宿駅制度制定400年記念=平成13年」と銘打った「東海道」の碑が街角に目立った。
4日(鳴海‐岡崎市=26㌔)。デイリー参加者が何と40人を超えた。ソウル出発日以来の人数だ。日ごろから付き合いのある地元の団体から約30人がノボリをかざし、ハッピを着て参加。岡崎市内では、チマチョゴリを着た在日三世の朴恵子さんらが「何か力になれたら」と伝統音楽で迎えてくれた。
5日(岡崎市‐豊橋市=33㌔)。デイリー参加者18人が加わった。このところ風邪気味の隊員が多くなり、休憩時間には横になる人が目立つ。たまった疲労で抵抗力が弱くなっているようだ。旧道に入ると御油(豊川市)の松並木が続く。豊川の堤防に出ると、たくさんの人たちがシジミ採りをしていた。
6日(豊橋市‐浜松市=41㌔)。歩道のツツジが雨に濡れて美しい。国道1号に出ると、容赦なく水しぶきを浴びせながら、車が通過して行く。コンビニの前で、男の人が「新聞でみたよ。頑張って」と激励してくれた。旧道700㍍の間に330本の松並木が続く。東海道には中山道ほど「旧街道」の趣きが残っていないのでは、と思っていたが、古い家並みも残り、なかなかいい雰囲気だ。
7日(浜松市‐掛川市=35㌔)。国道1号線から旧道に入ると送迎バスに乗った幼稚園児が手を振る。休憩した神社で、「袋井歩友会」のメンバーが迎えてくれる。袋井市の「東海道どまんなか茶屋」と「袋井市協働まちづくりセンター」でお茶やお菓子をいただく。
袋井宿は東海道53次の中で、江戸から数えても京から数えても27番目の宿なので「どまんなか」という。
(2007.5.16 民団新聞)